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<お知らせ>3月16日(木)綾命塾(りょうめいじゅく) 〜綾なす命の文化を学ぶ会〜 「日本人は縄文と弥生が結婚して生まれた!?」

<お知らせ>3月16日(木)綾命塾(りょうめいじゅく)

〜綾なす命の文化を学ぶ会〜 「日本人は縄文と弥生が結婚して生まれた!?」

詳細はこちら

https://www.facebook.com/events/107025963154501/

 

日時:3月16日(木)

18:30 (開場) 19:00(開演)〜 21:30 (終了)

場所大阪中崎町 朱夏 

料金:2000円+ワンオーダー
対談ゲスト:音楽家 岡野弘幹さん 7Generations walk 山田圓尚さん ダンサー Jun Amanto さん

『綾命塾〜綾なす命の文化を学ぶ会〜とは?』 
2016年、ネイティブアメリカンの英雄であるデニス・バンクス師を大阪にお招きし「Dennis Banks Gathering」を開催。音楽家である
岡野弘幹さんの呼びかけにより、「そこで得た学びをより深めるために、日本人である私たちの精神性や知恵を学びあう場を作ろう」として始まった会です。共に学び、語り合い、祈り、実践することで、希望を見出していく場を設けています。

 

☆ ☆ ☆ ☆

 

今回の学びのテーマは「縄文と弥生の融合です。」なんだか凄くワクワクしますね。

詳細はこちら

https://www.facebook.com/events/107025963154501/

音楽家の岡野弘幹さんは音楽的視点からのトーク、ダンサーのJun Amanto さんは古武術や舞踏などの体の動きの実践を通してのお話がくりひろげえられる予定です。

私(山田)は祈りと儀式の視点からこのトピックスに挑みたいと思っています。

以下、私の今回のトークのプロローグです。当日はもっと実践的に深くお話したいです。

 

☆ ☆ ☆ ☆

 

綾命塾

 

縄文的文化と弥生的文化の融合について

「自由」と「形」の関係性の視点からの一考察

 

例えば縄文の文化を、国家や制度がない「自由」の時代

弥生を国家や制度に守られて発展した「形」の時代と定義します。

 

そしてここでの「自由」という言葉の定義を以下のようにします。

自由という言葉を分析しますと、「自」=自分から 「由」=ゆうする わきだす。

ということで、「自ずから湧き出している状態」=「他から押し付けられたり、強制されていない状態」という風に定義してみましょう。

 

そして、視点を少し自分の内面にシフトして観じてみましょう。「自由」をより深く感じ、謳歌し、そのままであり、強く生きていく為には、自由の「自」を深く止観してみることが必要になります。自分の思考、自分の体の動き、コミニケーションをより意義深く的確にしていかなければなりません。ぼうっとしていたのでは自然の中で生き残っていくことさえもできないでしょう。

 

そのような視点が深まっていきますと、「自」の中に、根本的な法則や規範が見出されていきます。たとえば、自分の思考を整理することや、他を尊重し感謝すること、体に余計な力を入れないことや、意識を集中し、しかも俯瞰的な視点をもつこと、などなどが重要であることは明らかになり、その経験は智慧となっていったのでしょう。

 

自由の中に形があり、形の中に自由がある。その状態があるべき姿なのだと思います。

 

「人」の本質を見た場合、怠惰にならず、ずるくもならす、刹那的にもならず、バランスを崩さず、高度な気付きの上にある智慧を実践して生きることが人の幸せに繋がることを先人は知っていました。そして、先人は後輩達や子供達に無駄な苦労をさせたくない親心で、その智慧をさずけます。確かにその智慧を使えば、子供達は健やかに成長していくことができたのです。

しかし、その智慧は子供達の実感から生まれたものではなく、おそらく最初は智慧の真意の理解も不可能なので「形」として受け取ります。「形」だけしか受け取れないので、当初はその形は彼らの自由を奪うことになります。しかし、その「形」を「自由」の内に実践する先人をお手本として見ていたので、その形の本質から離れずに、形の中の本質を得るまで学び続けることができたのだと思います。

そしてその「形」に守られ成長し、いつしかその智慧の本質を知り、形の中にあるより高度な自由を体得することによって、身を守り、家族を守り、そして天命を全うしてしてきた。ということが想像できます。

 

ですから自由の中に形があり、形の中に自由がある。その状態があるべき姿なのだと思います。

 

仏教とネイティブの教えの融合

 

それでは、私自身はどうでしょうか?

私は伝統ある仏教的な家庭の中で育ちましたので、わりとしっかりとした形の中で育ちました。

しつけもちゃんとされて、いい子に育ちましたが、形が堅牢で大きすぎて、なかなか、形の中にある自由に辿りつけず、息苦しくてしょうがなかったのです。ですから本能的にその形を崩す必要が私にはありました。形はいっかい横に置いておいて、自由を探しにいきました。紆余曲折を繰り返しながらも、音楽をしたり、ネイティブと共に祈ったら、そうしたら本来的な「自由」を感動の内に見つけることができたのです。

 

自由な視点から形を見直す

 

自由をみつけた上で、今度は自分の形=仏教を見直してみました。そうしたら、そこにはホントに人を深く自由にする智慧がちりばめてあったことに気付くことができたのです。

ここに、形に自由という命が吹き込まれて、形が堅牢な牢屋から自由を深める智慧に変わりました。

 

本来、自由と形の関係、縄文と弥生の関係はこのようであることが理想のように思います。

ですが、この関係性がバランスを崩すと、両方に意味がなくなってしまいます。

形なき自由は弱く、時に認識が甘く身勝手で、早く滅びて「しまいます。

自由なき形は、形が牢屋に変わり、牢屋の中でいつしか命が萎れて死に絶えます。

 

ですから、私は形を持つものには自由な心を

自由な心を持つものには形を持つことをお勧めしたいのです。

そうすることで、私たちは自分を深め強め、愛と感謝の内に天命を全うできるのだと思います。

 

それは個人的にも社会的にもあてはまることとでしょう。

 

私はこのことを

仏教とネイティブの教えの融合ということで儀式的にも実践し、統合させていただくことができました。

今は形の内に喜びと無限の力に溢れ、自由の中に形を見出しています。

 

このようなことを踏まえて

綾命塾では、私なりに仏教とネイティブの教えの融合の実践というお話を実際上はさせていただきながら、縄文と弥生の文化の融合の実践として、共に祈りを捧げさせていただけたらと思っています。

 

そして、縄文的文化と弥生的文化の融合こそが、今の時代に必要なことであり

私たちの生活の精神性を高め、真の平和に繋がっていくことを願っています。

共に学び実践してきましょう。

 

316日の綾命塾で皆さんにお会いできるのを楽しみにいたしております。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

山田拝

 

★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★

お問い合わせ

7 Generations Walk 代表 山田圓尚
mail 7gwalk@gmail.com
web http://www.7gwalk.org/

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

7Generations Walkの運営資金に是非ご協力下さい。
どうぞよろしくお願いします。
資金協力呼びかけページです。
http://blog.7gwalk.org/?eid=1262412

 

 

 

 

 

7Generations Walk for Peace 2017 詳細日程

7Generations Walk for Peace 2017 

戦没者供養 平和祈願 〜平和のために 祈り 歩く〜

http://blog.7gwalk.org/?eid=1262636

https://www.facebook.com/events/1347299288675040/

 

詳細日程 

2月27日(月)浜岡→3月10日(金)東京

 

27日(月)

1時 浜岡原発展示館前集合

2時半 浜岡砂丘にてパイプセレモニー

4時〜6時 浜岡〜海岸ウォーク


28日(火) 浜岡→焼津 35キロ
 

8時 浜岡海岸出発

17時 焼津着


3月1日(水) 焼津 ビキニデーのお祈りに参加
9:30 焼津駅南口 出発 久保山愛吉さん墓参

 

焼津市民のビキニデー参加

https://www.facebook.com/events/181334939024830/

「平和への祈り」焼津から平和の祈りを...
*15:00〜
「第五福竜丸元漁労長 見崎吉男さん墓参」
*17:00〜 
「わすれない…ビキニ、福島 サンセットセレモニー 」 
・7Genarations walk(ネイティブアメリカンお祈り)
・7G BAND (奉納演奏)
・水野みさをさん(古代フラ)
・内田ボブさん(奉納演奏)
ビキニ・福島をわすれてはならない。悲しみをくり返さないように。
みんなで繋がり虹の輪をつくり母なる大地に、生きとし生けるものに、焼津から平和を... 
第五福竜丸が帰ってきた焼津旧港で祈りを捧げます。
*18:30〜 
「平和への祈り・第五福竜丸元漁労長・見崎吉男の言葉」上映 70min/yaponesiafreeway
昨年、3月17日に第五福竜丸 元漁労長 見崎吉男さんが永眠されました。
生前に何度かインタビューさせていただいたものをまとめた映像です。

 

2日(木) 焼津→蒲原 35キロ
8時 出発

昼頃 駿府城公園ない戦没者供養碑参拝
17時 蒲原着


3日(金) 蒲原→沼津 35キロ
5時 出発

10時に吉原周辺でタスキランの方々と合流 合同でお祈り
16時 沼津 戦跡巡拝
17時 牛山精肉店



4日(土) 沼津→小田原 40キロ
6時 沼津発

箱根越え
18時 小田原着



5日(日) 小田原→茅ヶ崎 30キロ
8時 小田原出発 戦跡巡拝
13時 大磯出発
16時半〜 茅ヶ崎交流会

https://www.facebook.com/events/270334466721671/




6日(月) 茅ヶ崎→葉山 25キロ
8時 発
18時〜 着 交流会@葉山プリメリアハウス

7日(火) 葉山→金沢文庫 12キロ

7時半 発

11時 金沢文庫アサバアートスクエア 交流会

交流会情報 https://www.facebook.com/events/584534805074940/

 

 

8日(水) 金沢文庫→横浜 25キロ

8時 発
横浜市内戦跡巡礼

参考HP

http://otomodachi.net/
 

9日(木) 横浜→東京 26キロ

8時 子安駅発 

川崎市内戦跡巡礼

3時半 千鳥ヶ淵戦没者墓苑参拝

http://www.boen.or.jp/
 

 

10日(金) 東京大空襲 祈念巡礼 7キロ

https://www.facebook.com/events/199434013872125/

午前9時30分 都営新宿線西大島駅A3 出口前 集合 → 
10時 東京大空襲・戦災資料センター(入場料300円)体験者のお話を聞きます。 → 
12時半 両国 都立慰霊堂 → 
1時半 すみだ郷土文化資料館 常設展「東京空襲の体験画」(入場料100円) →
3時 浅草寺参拝 →
5時 東向島 古民家ギャラリーフルハウス パイプセレモニー シェア会 ギャザリング 

★お弁当を持参して下さい。
★ 各自、各施設入場料をご負担ください。 最後のシェア会では開場経費+ドネーション(ウォーク運営費)にご協力いだければ幸いです。
★向島フルハウス(戦災で焼け残った古民家です。ここで東京大空襲の日にギャザリングできることは有り難いことと思っています)
〒131-0032
東京都墨田区東向島3-4-2
東武伊勢佐崎線「曳舟」下車 徒歩10分
京成線「京成曳舟」下車 徒歩15分
 

★参考HP
去年のウォークの報告ブログ
http://blog.7gwalk.org/?eid=1262553

★参考HP
東京大空襲・戦災資料センター
http://www.tokyo-sensai.net/
東京空襲の記録リンク(他にも沢山情報ページあります。是非検索してみて下さい)
http://www.kmine.sakura.ne.jp/kusyu/kuusyu.html
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm
戦災孤児のお話
http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/--650a.html

 

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参加方法 http://7gwalk.org/walk2012/registration/registration.html

参加要綱 http://7gwalk.org/walk2012/howto/howto.html 

 

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お問い合わせ

7 Generations Walk 代表 山田圓尚
mail 7gwalk@gmail.com
web http://www.7gwalk.org/

 

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7Generations Walkの運営資金に是非ご協力下さい。
どうぞよろしくお願いします。
資金協力呼びかけページです。
http://blog.7gwalk.org/?eid=1262412

 

 

何故歩くのか?

何故歩くのか?

最初は好奇心でした。

人に7 Generations Walkはどんな活動なのですか?
と聞かれると「歩いています」と答えます。

すると「?」という反応も多いものです


実は私も最初、アメリカ横断のSacrede Run 2006に参加した時は「歩く」ことには余り興味はなかったのです。1999年にデニス師と知り合い、2003年からサンダンスなどに参加している間にネイティブの友人も沢山できて、皆も参加するし、なんとなく楽しそうで、なんとなく意味があるような気がして、好奇心で参加しました。

常識は通用しなかった。

でも、参加してみたら、自分が想像していたものとは全く違いました。
それまで僕が持っていた常識はあまり役に立たない感じ。
5日間くらい歩いたり走りつづけても、一回もシャワーも浴びれなかったり、夜も大きな体育館に皆で寝袋で雑魚寝したり、食事も大変だったり、泊まる所が決まってない日もあったりして、便利な生活に慣れていた自分にとっては結構大変な状況が続きました。
そこまでして、車ならば直ぐに到着するところを、皆で一生懸命歩いたり走ったりして、長い時間をかけて進んでいく。聖地を守る為とか、母なる地球を守る為とか、いろんな目的は伝えられていましたが、そんなことよりも、この不合理さになんとなく「フ〜ム?!」という日々を最初過ごしていました。

「満足」の方程式が崩れた

でも、一緒に歩いている経験者の方々はなんだか凄く生き生きしていて、親切だし、普通に助け合い、分かち合うし、とにかくこの状況の中でポジティブでなんだか皆で楽しく過ごしていたのは今も覚えています。「楽しい」とか「満足」するというのは、「状況が素晴らしいから、そのように感じる」という自分の中の方程式が崩れていくのを感じました。

で何があったか?

そこには、管理されたり、隔てられたりしていない、「ありのままそのままの道の上を歩む」という体験がありました。車や乗り物は確かに便利で安全だけれども、その便利さの中で、ガラスがあったり、壁があったりして、世界との間に隔たりを作って守られて移動していきます。守られているのはある意味とても有り難いことです。しかし、守られることによって、本来自然にある匂いだったり、大地を踏みしめる感覚だったり、爽やかな風の癒しだったり、やっと辿りつくまでの心の変化だったり、今までは本来生きるのにとても大切だった感覚まで締め出していたことに気付き、その本来の感覚を取戻し、恵みを実感する日々になっていきました。同時に肉体も鍛えられて強くなっていき、心も強くなり、だか、不合理なのに充実した毎日に驚いていました。そして、それまで抱えていた、都会生活の中でなんとなく満たされない気持ちが溶けていくのを感じていました。

母なる地球の上に魂が帰ってきた

そして、その瞬間がきました。
砂漠を初めて走った時のことです。
その日はおそらく150キロくらい皆で走ったと思います。イーグルスタッフと言う聖なるバトンのようなものを皆でリレーして進んでいきます。その途中で10マイル(約16キロ)走りました。
僕の順番が来たのはカリフォルニアのジョシュアツリー公園近くの砂漠でした。

待っている時に「ん〜砂漠か〜」と思い不安になっていると、仲間が「大丈夫!!道はまっすぐでこれしかないから迷わず走って来い」と言い、500mlのペットボトルの水をくれました。
「ん〜そこが不安なのではない」と思いながら、微妙に励ませられつつも緊張して順番を待っていました。
前のランナーからバトンを受け継ぎ、走り出して直ぐに案の上喉が渇き過ぎて、最初に渡された500ミリリットルの水はあっという間に飲み干してしまいました。

仲間は16キロ先に車で先回りして僕を待っているので、とにかく走るしかない。
もちろん自動販売機も店もなく、

あるのは大地と空とまっすぐに続く道だけ。

ま〜清々して気分は良かったです。
そして、その時に感じました。いつもは都会のアスファルトに覆われた大地を見ていたけど、ホントの大地はこうなのだな!いつもはビルに囲まれた空をみていたけれど、さまたげのない空はなんて雄大なのだろう!もちろん初めて走る砂漠の中の道でしたが、なんだか「帰ってきた感が満載でした」

なんというのでしょうか?ランニングハイ!?というか、かなり厳しくもありましたが、凄く力に溢れて走りきることができました。そしてゴールすると仲間達が讃えてくれました。皆で歌も歌いました。
そしてその時のリーダーがまた水をくれました。500mlのペットボトルです。
僕の渇ききった姿を見てか、その時に水を僕に手渡しながら長老は言いました


「This is your Life!!!!」

「お〜〜〜!」と思いながら、空を見ながら皆に讃えられながら、一気にその水を飲み干しました。

その水は「ホントに美味しかった!!!!」

乾いた体に水が染み渡っていくのを感じました。
そして同時に僕の心にも水が染み渡っていきました。


今まで渇ききっていたけど、とても大切だった心のある部分が癒されていくのを感じました。それまでの人生でなんだかどうしようもなかった僕の心が!ホントに満たされた気持ち。

いままで物が沢山あってもなんだか満たされなかった自分の心が「一杯の水で満たされた」のです。
もちろん今客観的に振り返れば、仲間や長老の愛、ネイティブの祈りや智慧、大地の力がかなりサポートしてくれたことは間違いないのですが、とにかく全身全霊で満たされてしまいました。まったく予期せぬ出来事。

なんなんだこの感覚は?

自分を満たす為にいろいろなものを得ようと努力しつづけていた自分がなんだか幼く思えました。

そして、「ここにあったのだ!」と「いつもあったのだ!」と「水は手元ににあったのだ!」
大切だったのは飲み方!在り方!心の持ちよう!だったことに気付きました。


自分の魂は救われ、開放されて、自由になっていくのを感じました。
あ〜〜〜〜あの開放感と一体感はどんな言葉でも表現することができません。
それは経験しなければ分からない充足感です。

ここに私の魂を救ってくれた経験という鍵がありました。

 

何かを得るための鍵ではなく、条件を手放して、こだわりを手放して、開放することによって
ダイレクトにあの恵みが心に入ってくる扉を開く鍵です。

この鍵は、私の心を救うだけでなく、人の心や現代社会の問題の原因を救い、7世代先まで持続可能な社会実現への鍵にもなるのだと直感的に思いました。

 

現代の世界的な社会問題、環境問題の原因は先進国と言われている国に住むある種の人達の過剰な消費にあると思います。それは満たされることのない理想と欲望を振り回し、そのことを是とする種の人達の消費と独占欲です。この種の人達は、私自身もそうでしたが、沢山すでにもっているのに、もっと欲しがり、その富や食料を独占しようとします。独占してもなお満たされず、さらに搾取する。他人からも自然からも。そして、世界を危機に直面させているのです。いろんな意味で。

現代社会問題の根本原因は消費大国に住む人々の満たされない心にあります。
しかも、その心は、その社会がもっているセオリーではどうしても満たすことができないほど、迷路に迷いこんで、わけが分からなくなってしまっているではありませんか?!

だからこの鍵を、この感覚をさらに自身に定着させて、もっと理解して、シェアしたいと思いました。

それはまるでとても美味しい料理を皆にお勧めしたい感覚に似ていました。

そして、Sacred Run から帰ってきて、日本で自分の修行の為に先ずは一人で歩くことにしました。
東京から京都まで!旧東海道、約500キロを一人で歩く!荷物を全部背負って一人で歩き出しました。
多くの人が僕を止めました。出来るわけがない。無理に決まっていると心配してくれました。
ある意味、その心配は当たっていました。いままで何回もウォークをしてきましたが、一番苦労したのが、この2006年に一人で東京から京都まで旧東海道を歩いた時でした。


Sacred Run は多くの人のサポートによって助けられ、導かれて歩ききることができましたが、一人はまったく違いました。ホントに何の経験もないまま、今から思うと下調べも準備も出来ておらず、無謀な挑戦でした。今の僕が、あの時の僕を見ていたら、間違えなく止めると思います。それでは苦労するよ〜と教えたくなりそうです。確かに苦労しました。今ならしなくても良い苦労を。酷く苦労しました。例えば必要のない荷物を沢山もって肩や腰が非常に痛かったり、靴も大事だけど靴下も凄く大事だと言うことが分かっておらず、沢山まめが足にできたり、道にすごく迷ったり、でもある意味、あの苦労は良かったのかもしれません。多くのことを学びました。自分の甘さも、自然の厳しさも、人の優しさも身に染みて実感したウォークでした。そして、どんな苦難も乗り越えて必ずゴールまで行く、強い意志と冷静な判断力を得られたのも良かったです。

2006年のSacred Runのあの感動を、問題解決の鍵としてシェアする為には、導かれて助けられて体験させてもらう立場から、自分でウォークを計画して、いろいろな状況を加味して、変更したり、あるもので代用したり、時には交渉したり、臨機応変に現実的にゴールまで無事に到着することを自分自身の責任ですることが必要でした。その為にはまだまだ多くのことを学ばなければなりませんでした。

2007年は旧東山道を歩いて東京から京都まで伝教大師の歩いた道を辿るウォークをしました。前年の経験もあり、しっかり準備して万端な感じで歩きだしました。この時はお寺の住職時代にしていた瞑想教室の生徒さんも一人ついて来て、二人で歩きました。彼は大学院生で元陸上部で体力に自信があったようでしたが、やっぱり凄く苦労していました。まるで前年の僕を見ているようだったのを覚えています。
そして、その2007年のウォークの時は、自分自身には余裕があり、彼をサポートしながら無事に京都まで辿り着きました。途中で不思議な雲を見たり、ゴールした瞬間、山の頂上から天に向かって一本の雲が伸びていたり、不思議に、自分たちの祈りと天地が共鳴しだしたのもこの頃でした。それは、素晴らしい感動をともない、一緒に歩いた青年の人生にも良い影響を与えてくれたようでした。

そして、2007年の後半は、2008年のアメリカ横断のロンゲストウォーク2の準備を手伝うことになり、私は日本のコーディネイターになりました。そして、多くの若者とロンゲストウォーク2の架け橋になりました。私もウォークに参加し素晴らしい経験を沢山しました。ウォーク中に何度かセレモニーやスエットロッジにも参加し、多くのことを学びました。
そして、ある日、デニス師と20人くらいの参加者と一緒にスエットロッジに入った時のことでした。デニス師にお告げのようなメッセージが来たらしく、「来年はこのウォークのスピリットを日本で生かしていく為に、ヤマダがリーダーになって日本でウォークをして下さい。日本にこの祈りが必要になるでしょう」と伝えられました。
そして、その時に一緒にいた日本人の参加者と一緒に2009年に日本で7 Generations Walk を立ち上げました。


7世代先の子供達に幸せを届けるのがウォークの名前のコンセプトでした。そして2009年のウォークは実際的に大阪の箕面から東京の高尾まで約600キロのコースを歩き、その時にトンネルを掘られそうになっていた、聖地高尾山の自然を守ろう!というのがメインコンセプトでした。
ロンゲストウォーク2でも聖地を守ろうというのが、メインコンセプトのひとつでしたので、その祈りを日本でも活かしていくのが目的でした。

高尾山関係でも多くの人が賛同してくれたり協力してくれたり、ホントに大勢の人が参加してくれました。道のりで共感してくれたり、お世話して下さる人達と沢山の出会いもありました。今もその繋がりは大きな財産になっています。
しかし、実際上の運営はこの時は凄く大変でした。準備も全ての行程において上手くいったわけではなく、受け入れ側との交渉もちぐはぐだったり、不調和を大分生んだこともあり、皆にも大分迷惑をかけました。初めてのウォークは凄く大変だったのを覚えています。

でも2009年のウォークの間は随分沢山の虹を見ました。

 

いや見せてくれました。多分今までのウォークの中で一番、虹の頻度が高かったのもこのウォークの時だったと思います。
天地がサポートしてくれた感が満載だったウォークでしたが、
高尾にゴールした瞬間には明らかな奇跡的な祝福がまっていました。

ゴール前夜は嵐、泊まっていたテントの下はウォーターベットのようになってしまいました。ゴール当日も朝は大雨、午後は小雨の中を歩きゴールまで皆で辿り着きました。そして高尾のゴールで賛同者の皆さんが用意してくれていた虹色のゴールテープを皆で横切った瞬間にその奇跡は起こりました。曇っていた雲が奇跡のようにかっと開いて、まさにゴールのその瞬間に太陽がスポットライトのように私達をパッと照らしたのでした。その奇跡は、その時に居合わせた皆と感動を深く分かち合うには充分なほど、明らかに天地と人の祈りが繋がっていることを示す体験でした。参加してくれた皆とは素晴らし体験をシェアできて、時に人生を左右するような、良い影響を与え合えたようなウォークになりました。

でも、それは証明することはできない。因果関係も分からない。そこに居合わせた人以外に説明しても、いまひとつ伝わらないことも事実でした。でもただ、それはそうと参加した皆は頷ける体験がそこにあっただけです。
実際にはウォーク参加者以外にはその真意は伝わらなかったことは悲しい現実でした。しかし、今ならそれはそうだろう!と思います。私が得てシェアしたかった鍵は現代社会のセオリーや常識とは違うものなのですから、それを言葉などで理論的に説明しようとしても上手くいくわけがない。
なかなかのジレンマをその時に味わったのでした。


天地と私たちは繋がっている。

大地や水や空気の恵みで生きてる私たちは物質的な観点からも、理論的に考えても疑いようのない事実です。

しかし、私たちと天地が一つである!というのはどうでしょうか?
それは、謙虚に祈ることによって、心が開いていれば、感動的に体験できるものです。
そこにネイティブの教えの大切な部分があると思いますし、
それを心底実感できることは、ある意味深い安心を与えてくれ、心を満たしてくれるものです。
そして、同時に天地と一つであるほど深く繋がっていることを実感すれば、
山や自然に対する畏敬の念が溢れてきて、やすやすと山を開発したり、トンネルを掘ったり、パイプラインを通したり、ウランを掘ったり出来なくなります。

ネイティブの教えは、私達と自然・命そものを繋げるもの。
そして仏教は自然という現象の根源が一つであり、私達は本来一つという「ワンネス」を明らかにするもの。

この二つの関係は「本地垂迹」の真意であると思っています。
しかし、現代の人々は自然と壁で隔てられ、その息苦しさの中で光を見失っています。
現代社会の精神文化の常識は余りにも、命の本質から遠いものになってしまいました。

ですから、天地と私達がひとつであることを語りだすと(語ってどうなるということでもないのですが)現代社会からは極端だということになって、非合理的に思われて受け入れられなくなります。だから影響が与えられなくなってしまう。人と山は別だと言う観点しかもてない現代日本社会の常識の上で高尾山にもトンネルは結局掘られてしまいました。

しかし、高尾山にトンネルを掘って、だれが心底満たされたでしょうか?それは、少しでも早くとか、そういう欲望を満たしたかもしれないけれども。山や自然の痛みは感じもせず、便利になったと言って、さらなる便利を目指している。そんな現代社会の常識。いまではリニアモーターカーを通そうとして、さらなる便利と自然破壊を推進しています。満たされていないから。もっと便利になりたいからです。

大地と自分が一つであることを合理的に説明することは難かしい。
それは非合理だからです。自分と大地は、物質的に見て確かに別のものです。

しかし、私が満たされたのは現代社会の合理的なことではまったくなかった。
目指したゴールにあったわけでもなかった。
今ここと深く繋がった瞬間にあった満足感と喜び。予定調和という人間の小さなマインドを満足させて喜ぶような、そんな喜びで人は満たされることはないから、現代社会は物が充分にあっても、欲望と不満足に溢れていることを覚りました。

非合理と合理を如何に結びつけるか?
色即是空、空即是色の中道の世界。
それは、伝統的に人類が取り組んできた問題に対しての解決策。
その解決策の到達点的な境涯とも言えます。

最近、私の仏教のお師匠から聞いた言葉では
「いまは我々が釈迦を拝む時代ではない。我々が釈迦を生きる時代なのだ」
とも言われています。そうしなければ、戦争や環境破壊の問題の根源を解決することにはならないと感じています。

私はその境涯を知る為に、なんの難しいこともいらないことをウォークで体験させてもらいました。
「ただ歩けばいい」
というのが一つの答えでした。
「ただ、ありのままそのままの道を歩けばいい」
そこには、大地も水も太陽も空気もあって
私たちのDNAもまだまだ生きています。
人が自然と一体で満たされて生きていた時のことを思い出すことはまだまだ可能です。


自分を開くことはいつでもできます。
そうしたら、今ここが常に奇跡であることに気付くことができます。
2006年の砂漠での一杯の水の奇跡の気付き。

「ここにあったのだ!」と「いつもあったのだ!」と「水は手元ににあったのだ!」
大切なのは飲み方!在り方!心の持ちよう!だったことに気付きました。

同じことを今では、ただ歩くことによって、瞑想によって、祈りによって感じることが出来ます。
それは仏教やネイティブの教えを深く知れたからでもあります。
はじめはイベント的に非現実的な状況でそのことを体験することができましたが、
その体験に導かれて、今はその体験を日常にすることができています。

「歩く」というのは「走る」と違って、
日常的なことというのも気に入っている所です。

日常の中に奇跡がある。
その奇跡を目覚めさせ、分かち合う為のものが7G Walkです。


さすがにウォーク中は大いなるものが見方してくれて、あからさまな奇跡を何度も見せてくれました。
7重の虹を見せて下さった時もありますし、2012年の富士山のウォークのファイナルも奇跡でした。
2014年のチェジュウォークの時も鳳凰のような雲が現れ、2015年の広島〜長崎ウォークのゴールでも私たちの頭上にだけ虹が現れたり、その例は数数えきれません。しかも毎回全員が、この奇跡は私たちの祈りと繋がっていると感じる完璧なタイミングで訪れるのです。
それは私たちの心を開かすお計らいとしか言いようがなく、自分たちで意図して、そのような奇跡を起こすことは出来ません。しかし、奇跡を呼ぶようなあり方は心得ています。その感覚はしっている。その感覚を分かち合って、日常をその感覚の上で共に生きていきたいのです。そこに心を満たし、問題を解決していく鍵があります。

予定調和ではなく、常にある調和。

そして、その常にある調和が開く奇跡の扉と、日常に続く充足感。それは日常の中にあるべきで、その日常にかなり近い位置で気付きの機会を与えてくれるのがウォークと感じています。

しかも、これは非合理と合理を結びつける活動。最終的には言葉で分かち合えないものを分かち合おうとしています。だから、言葉ももちろん使うけれども、非合理なあり方を体現しつつ、その中にある合理的な不満足を満足にする鍵をシェアし続ける為に、不合理に歩き続けているのです。ウォークは私にとって非合理の合理です。

自然の法則によって循環する世界と、無限なる恵みの源。

その上に私たちの命や日常生活は成り立っています。本来の大地、水、太陽、風、宇宙。その恵みのままの姿を観じたら私たちは心から感動できるDNAを今も持ち合わせています。そして、その恵みが大いなるものの計らいの中で一つに繋がっていることも体験できます。

その言葉以上の体験を、分かち合い、日本そして、世界にこの問題解決の鍵を届けるべく、私は歩き続けます。仏教とネイティブの教えをバックグラウンドに持ちつつ、持続的に安定的に、そのあり方を表し続けていけたらと思っています。

これが私なりの理解を分かりやすく説明しようとトライした
7 Generations walk の
「歩いています」の意味です。


ホントの意味は参加していただかないと分からないかしれません。

全てを語ることはできませんが、今回は長く書いてしまいました。
読んでいただき、ありがとうございます。

でも、私たちの活動などなくても、この事に自然に気付いている、素晴らしい方々に沢山出会いました。その、素晴らしき方々、堀澤先生、デニスバンクス師、ネイティブの長老や兄弟姉妹達、仲間達に最大限の尊敬と感謝を表明し、連帯を願いたいと思います。
私は全ての繋がりのなかで生かされています。

7Gウォークの祈りは仏様、サンダンス、ネイティブに繋がっています。
この理解と繋がりは、ネイティブによる所が大きく、私自身と私の仏教の魂を目覚めさせてくれたのはネイティブの祈りです。

きっと皆さんの日常も、このようなネイティブのフィルターを通すことによって、より輝きが増していくと思うのです。

 

いま、スタンディングロックで戦っている、真のスピリチュアルウォーリアー、戦士達に尊敬と連帯を表明します。

Stand with Standing Rock !!!!
大地・水・天・人、あらゆる生命に宿る魂が目覚め
相互理解が命の水を守り、世界を平和にしていくことを願って。


ホーミタクエオヤシン

山田拝

 

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7 Generations Walk 代表 山田圓尚
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祈りと非暴力運動で問題の解決を! 私(7g山田)が思う、Standing Rock と共に立ち上がることの重要さ

昨年のツアーの間にデニス師から伝えられたスタンディングロックのこと。

(スタンディングロックの基本情報はこちらをご覧下さい。http://blog.7gwalk.org/?eid=1262635

デニス師のスタンディングロックにかける強い思いは確かに今までとは違う特別なものでした。
(ツアーのメッセージのまとめはこちらにあります。http://blog.7gwalk.org/?eid=1262630)


デニス師曰く
「スタンディングロックで、祈りのもとに、愛や尊敬、智慧や真実をもって戦う、戦士の文化が蘇っています。」


このスタンディングロックが持つ意味は、インディアンにとってあまりにも大きなものなのです。ウンデッドニーの虐殺などの弾圧された歴史に深く関与した地域であること、スー族の聖地であること、もちろん大事な水源であることなど、歴史的に見ても、場所的に見ても、その重要性は一目瞭然です。

「私達にとってスタンディングロックは大きな意味を持っています。
スタンディングロックが陥落することは、私達が倒れることを意味しています。
私達はスタンディングロックを一人で死なせはしません。
私達とスタンディングロックは一つであり、私達自身なのです。
スタンディングロックと共に立ち上がりましょう。」

 


そして、70年代からづっとアメリカンインディアン運動とデニス師をサポートしてきた、日本山妙法寺の安田純法尼も言っていました。(http://blog.7gwalk.org/?eid=1262633)

 

「スタンディングロックはこれからアメリカ、そして世界の精神的改革の中心になると感じています。
スタンディングロックと共に立ち上がりましょう。」


スタンディングロックの反対運動は非暴力で、純粋な祈りの精神的な運動です。
それは、スタンディングロックに初めて来る人にするレクチャーにも表れています。

 

「ここは精神的な祈りのキャンプです。問題を解決するとしたら『祈り』が解決をします。暴力で解決しようと思う人は、このキャンプから出て行くようにお願いします。
インディアンは朝晩、サンライズセレモニーとサンセットセレモニーをします。それを理解出来ない方もこのキャンプから出て行くようにお願いします。
軍や警察と向き合う時、彼らは武器を持っています。怒りを持つ人は前列には立たないようにお願いします。
全てが繋がっていると思う人、向こう側に立つ人とも繋がっていることを理解し、その人達のことも思える人だけが、前線に立って欲しいと思います


そして、スタンディングロックではこのことが誠実に実行されてきたので、深く広い共感が全米、全世界に広がり、各地から多くの人が支援に訪れ、一時期はここでキャンプをして活動している人が約一万人にもふくれあがりました。
往年のネイティブの精神運動家やアメリカンインディアン運動の活動家はもちろん、ウォールストリート占領運動をしていた人達がスタンディングロックの祈りに触れて感動したり、今までこのようなことに興味のなかった若者たちの中でもスタンディングロックのことは有名になり、祈りが大きく展開している姿がアメリカでは分かりやすく現象として表れてきました。

 



問題を解決するネイティブの祈りとは?

 

サンライズセレモニー


私もアメリカ横断のロンゲストウォーク2や3に参加していた時に、ネイティブの皆さんと良くサンライズセレモニーをしました。何をするか?と言うと、先ず、夜明けの頃に皆で集まって、太陽が昇ってくるのをただただ待ちます。
ただ待つだけです。そうしますと、空の色が変わっていきます。真っ暗だった空が、段々と紫になり、そして、オレンジ色が混ざりだし、そして、いつしかピンク色も加わり、美くしいグラデーションが広大に広がる、なんとも言えないくらい美しい空が、目の前に展開します。その世界に自分が没頭してその世界に包まれてしまうのを感じます。うゎ〜〜〜美しいな〜〜〜と感じていると、そこに太陽がピカッと顔をだすわけです。もう〜〜その瞬間に、思わず、拝まずにはいられない気持ちになり、あまりのことで自然と手を合わせ祈っている自分がいつもいました。日常の夜明けの奇跡的とも思える空に触れて、祈らずにはいられない気持ちで祈ってしまう。そして、その瞬間にネイティブ達は感謝の歌を歌い祈ります。この歌も「あ〜こんな気持ちが歌になって現れたんだなと納得してしまいます」そんな風に祈りの文化は生まれ、発展してきたのだと感じています

このような姿が太陽そのままの姿であり、空の姿です。そして、そのままを、人がそのままに感じると、このような感動的な瞬間が訪れるわけです。その存在本来のクオリティーを思いだすこともまた祈りなのだと感じています。

 

太陽そのままの姿に感動し、水そのまま、人そのままであることの素晴らしさと強さと説得力を取りもどす

そして、これと同種のクオリティーが水にもあり、木にもあり、大地にもあり、人にもあり、あらゆる生命にあります。そのことをありのままに感じる祈りが今でもネイティブには伝えられ実践されているのです。
人の心がこのように開かれる時、私達は太陽の恵み、水の恵み、大地の恵み、無限の恵みを、喜びと共に分かち合うことができます。水そのもの、大地そのもの、人そのもの、そのままであることの素晴らしさ、強さ、感動的な大きさと、説得力を心身を通して思い出し、繋がり直すことが祈りによってできるのです。

 

 

全ては一つであることを思い出す

 

そして、そこまでいくと、水と人が一体で、大地と人が一体で、太陽と人が一体で、自然と人が一体で、人と人が一体で、全てが一体であることを思い出すことも容易になります。ですから、デニス師は私は川の一部であり、鷹の一部であり、全ての一部である‥とお話の時に良く話せるのかもしれません。

 

そして、その認識こそがありのままの自然であり、感動的な夜明けの空のような、日常の命の本質的な姿なのです。そのことを思い出す為の一つの方法がサンライズセレモニーなわけですが、色々な方法でそのことを思いだし体現することができます。

 

その一つが、反対運動の最前線に立った時に、対抗している向こう側の人とも一つなのだと感じながら、彼らの為に祈るという行為なのだと思うのです。

 

もしも人のその祈りの行為があの夜明けの太陽のクオリティー、本来の生命のクオリティーに個人的にも集団的にも達した時に、人の心は自然と開かれ、自分と川が一体であったことを自然と思いだし、その思いだす力、繋がり直す力、すなわち祈りの癒しの力で、敵の心をも生命のありのままに戻してしまうことによって、問題を解決しようとしているのだと思います。

 

それは、あの夜明けの空をありのままに見て、美くしいと思わない人がいないことと同じように、きっと全ての人の心に届くものだと、ネイティブは体験を通して信じているのだと思います。そして、その力を毎日のサンライズセレモニーをすることによって忘れることなく、そして、さらに洗練させていく。その為に毎日儀式をしているのだと思います。

 

 

 

「祈りとは思い出すことである」


そして、実践者達は知っています。このことを自然との繋がりが無い場合、思い出すことが難ずかしいということを‥自分の心を省みてもそのことは、良く思い出せると思います。また、夜明けの太陽を目の前にしていても、心が閉じていたら、感動しないことも思い出せると思います。


そのような、もう一つの分断という現代世界の現象によって、人類は滅亡の危機にあると言っても過言ではないのかもしれません。その分断を生み出しているのは、閉じてしまう人の心の傾向です。それは敵の心にあり、仲間の心にあり、自分の心にあります。この傾向を克服するために、継続的な祈りという行為が行われてきたのです。「祈りとは思い出すことである」と聖者が言ったのを思いだします。

 


デニス師はツアーの時に言いました。「私たちも確かにオイルの恩恵を受けています。私たちの運動はオイルそのものに反対しているのではなく、このような環境や水の大切さへの配慮がまったく足らない、大企業や政府の態度に反対をしているのです。そして、彼らが今まで汚染してきた水や自然は、どんなにお金をはらっても謝罪しても元にはもどらないのです」
そのことについて書かれたデニス師の文がこちらにもあります。
http://www.sfchronicle.com/opinion/openforum/article/Why-we-take-a-stand-at-Standing-Rock-10597021.php

 

閉じて分断された心が水を汚染し、自然を破壊し、人を殺します。

「サターン(悪魔)の語源は、シェイターンであり、セパレーション、分断であると聞きました」


その閉じる心の残酷さと常に対面し、祈りによってそれに対応しつづけて来たのがネイティブの歴史であり、アメリカンインディアン運動の歴史であり、デニス師の活動の歴史でもあるのです。今回、そのことがスタンディングロックでわかりやすく、現象として表れています。その素晴らしい部分に共鳴して、多くの人が立ち上がっています。

 


私達は繋がっています。


問題の原因としても繋がっていますし、そして、その問題を解決していく心としても繋がっています。
自然を破壊しようとする力もまた強大です。ダコタパイプライン建設予定の約1800キロは、スタンディングロックのエリア以外は全部できてしまっています。その強大な力の源はお金なわけですが、そのお金は日本の銀行からも巨額に融資されています。

 

以下参考HPより引用(http://rief-jp.org/ct6/66109
総事業規模は37億ドル。このうち25億ドルをシティを主幹事とする17の銀行団からの融資でまかない、2016年中に完成する予定だった。その後、関与する金融機関の数は38にまで増えている。 日本の金融機関は総融資額の1位に、みずほ銀行(5億9000万ドル、約661億円)、2位に三菱東京UFJ銀行(5億4800万ドル、約614億円)が名を連ねている。融資団全体でも、日本勢は大きな比重を占めている。


お金で協力するという形で、水を汚染し自然を破壊するその強大な力の一部に日本に住む私達が無意識になってしまっているのです。

 

そして、運ばれるオイルも当然日本やアジアにも販売され運ばれてくるわけです。毎日このオイルの恩恵にあずかっていることも事実であり、いろんな側面で、私達は世界的にすでに深く繋がっていることを認識しなくてはなりません。日本に住む私達は食料の6割を海外から輸入していると聞きます。確かに日常的にアメリカから輸入した大豆などを食べています。このような事実は有史以来の歴史を見ても、かなり特別な状態にあると思います。

 

このことを認識せずに、無意識に自然を破壊しつくして、いつしか、人類が滅亡の危機にいたり、自分も愛するひとも絶望の内に死んでいく。そのような流れは止めなくてはなりません。自然や全てと繋がっていることを忘れなければ、自然を破壊せずに、人類が豊に暮らしていくことはできるはずです。


このダコタパイプラインも原発も、そのような現場に行って感じる感覚は似ていると思います。


平和な日常的で美くしい自然な風景の中に突然表れる巨大な不自然な物体。その巨大さは、人一人の力など無意味に思えるほど、硬く、重い壁に囲まれて、分断的で威圧的です。目の前にあるのに手出しをすることは不可能で、そこから、オイルが漏れたり、放射能が漏れても、ただ見ているしかできません。そして、汚染された水や土は、自然が気が遠くなるほどの年月をかけて浄化する以外に、もとにもどす術はありません。


このような目の前にある問題を解決する為には、この巨大な物体を作った原因、つまりお金の源をつきとめなくてはならず、そうすると問題の土地から遠く離れた所にそのお金の出所がある場合がほとんどです。それは、また大企業や政府という高い壁の中にある会議室で意思決定が行われ、私達が手を出せないところにあるように感じてしまいます。ではその会議室を作ったのは何か?それもまたお金の力ということになりますが、そのお金が来た所はどこか?と思いますと、それは庶民の消費活動ということになるでしょう。では、その消費活動なにを源としているか?というと、それは人のニーズであり、人のニーズは人の心が生み出しているということなります。


ですから、ダコタパイプラインや原発の問題の根源的な原因を解決する為には人の心に対処しなくてはならない。人の心の一番深い部分に対処できるのは祈りです。ですから、祈りで問題を解決するということは、問題を根源的に解決するということになるのです。その有効的な智慧を人類はいままで沢山蓄えてきました。

 


人の心の影響が世界中に及んでいく事実を思い出さなくてはなりません。

そして、同じ構造で、世界中の大企業や政府による環境破壊や汚染、放射能の問題や、戦争も起こっていることを思い出さなくてはなりません。ですから、スタンディングロックという一地域の問題のように見える問題も、問題の原因は世界と私と私達と繋がっているのです。その問題の原因を解決しなければなりません。

 

私達の心も世界中と繋がっています。交通網や情報網の発達によって世界中の心の繋がりも確信的に強くなりました。ですから、スタンディングロックの問題が解決されることは私達の心の問題が解決されたということになり、心の問題が解決されれば私達の問題も解決されるでしょう。


そのことを理解している人は世界中でスタンディングロックと共に立ち上がっています。

 

 

そして、その問題の解決を祈りに求めることが、本質的な解決になる事に多くの人が気づきはじめています。スタンディングロックは率先してそれを実現しようとしている、クリアーな私達の象徴でお手本なのです。閉じてしまった人の心を、祈りで開こうとしています。スタンディングロックは心開いた私達にとっての希望であり、同時に緊急を要する危機に面していることを忘れてはいけないと思います。


ですから、私達はスタンディングロックと共に立ち上がろうとしているのです。


祈りとは、本質を思い出すことであり、繋がり直すことであり、癒しである。


そしてその祈りが世界の問題を解決し、7世代先の未来の子供達に幸せが届きますように。

スタンディングロックと共に立ち上がりましょう!

 


ホーミタクエオヤシン


山田拝

 

 

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堀澤祖門先生のお話を聞く会報告(山田の感想) 「枠を破る→真の世界平和」

 

一昨日、「京都大原三千院にて堀澤祖門先生のお話を聞く会」無事に終了しました。
ご参加、ご協力いただきました皆さま、ありがとうございました。

現代人の私たちにとって大切な生きるヒントを多く与えていただけように感じています。


会に参加していただいた方々にはお話の内容と同時に先生のあり方とバイブレーションも合わせて、それぞれにメッセージを受け取っていただけたと思います。

先生はお話会の直後にインドに向け出発しなければならないにも関わらず、時間がゆるす限り、一時間半とてもパワフルにお話をして下さいました。最後に「今日は皆さんと一体となれた気がします」と笑顔でおっしゃって会場を後にされました。先生がさった後、とても清々しい空気が流れていました。

今回は私の個人的な感想をシェアさせていただき、報告とさせていただきたいと思います。
先生のお話の詳しい内容も、先生にご確認しながら、後日お伝えさせていただければと思っています。

今回のお話会用に先生がレジメを作って下さいました。
レジメにはこのようにありました。

枠を破る(二元から→一元へ)
(1)二元相対ということ
 1 現象会は二元相対の世界
 2 二元とは
 3 相対会は争いを生む 「人間は自分を一番愛するもの」釈迦の言葉
 4 現代世界の状況
 5 人類に救いは無いか?

(2)一元絶対ということ(色即空・空即色)
 1 仏教の智慧(仏教はどう教えるか?)
 2 色と空
 3 色は二元の相対界(現象界)
 4 空は一元の絶対界(本質界)
 5 一元とは 絶対(対を絶する)とは
 6 色(実有) → 空 → 色(仮有・妙有)
 7 空を体験すること(空体験) 
 8 空感を体験すること(空感体験)

このような目次の流れに合わせ、お釈迦様のエピソードの紹介や、様々な例え話を織り交ぜながら、時に笑いもこぼれ、説得力と力に溢れるお話でした。

 

(今回はお話の会場が撮影禁止だったのでお話会中の写真は撮れませんでしたので、三千院参拝中の写真を掲載します)

私の個人的な感想として、印象に残ったのは

現代の状況の中で人類に救いはあるのか?世界に平和はくるのか?という問いかけに対するお話

 

でした。
先生は
「助け合ったり、祈りあったりすることは大切です。
でも、それだけでは根源的な解決にはならないでしょう」

といいました。

災害などの支援をしに、多くの人が被災者の方々お気の毒に思い、募金をしたり、ボランティアに行ったりします。これは素晴らしいことです。
しかし、やはり状況が悪化すると中々支援には行かなくなります。例えば東関東大震災の時にアメリカ軍は友達作戦と言って最初は大分支援してくれましたが、福島原発が爆発すると直ぐに引き上げてしまいました。自分の危険を省みず他人を助けることをする人はあまりいません。自分も可愛く、自分に繋がる家族も大切です。このような例は当然のように思われます。
戦争の事を考えるとどうでしょうか?憲法九条やそれに連なる歴史を持っている日本で戦争に反対することは当然のように今は思えます。しかし、、実際に自分の肉親や大切な人を殺された場合はどうでしょうか?仇をうつための戦争だと言われても迷いなく戦争に反対する人はどれくらいいるでしょうか?

 

今、世界平和に必要なものは真の慈悲心である

先生は言いました。
仏教には智慧と慈悲という二つの大切なものがあります。その内の慈悲というものの前提は、すべては一つであるという絶対一元、空、全ては一つという境涯が基本になっています。
すべては一つですので、私があなたで、あなたが私です。だからあなたの痛みは私の痛みということになります。私があなたの痛みを癒す為に、私の手であなたの痛い場所をなでるのではなく、自分の体の痛いところをなでるのと同じようにあなたの痛い所を撫でます。他人が気の毒ということから手を差し伸べるのではなく、絶対一元の感覚で手を差し伸べることを『慈悲』と言います」

なるほど、他人の痛みが自分の痛みということになれば、その対応も、より細やかに、親身になり、本当の癒しになるでしょうし、救いにもなるでしょう。ましてや、他人を傷つけたり、殺したりすることはできなくなります。

しかし、このような観点が無いばかりに、昨今は大量殺戮兵器を人類は発明し、戦争では多くの人を殺してきました。その際たるものが原爆です。

今までも平和活動などでお互いを助け合おうと努力してきました。しかし、戦争は今も無くならないでいます。そして、今の日本はまた戦争に巻き込まれるかもしれない可能性があります。
このような空の認識を共有することが今必要なことであり、平和への確かな道なのだと感じました。行き詰った今の世界を平和にする為には、どうしてもこのような、空、絶対一元、すべては一つという視点、本来の「慈悲」の精神が必要なのだと思うのです。

 

 

空を体験することが必要

しかし、この空の世界、絶対一元の世界を理解する為には言葉や頭で理解するだけでは駄目です。言葉は言葉で表現できることしか伝えられません。絶対一元の体験の全てを言葉などで伝えることは不可能だからです。
ではどうすれば良いか?空体験をするしかない。空体験が難ずかしい場合は空感体験をすれば良いのです。と言って空感瞑想法を教えて下さいました。
仙骨と丹田に力を入れながら、呼吸と共に空のフィルターを全身にかけ、全てを手放して空っぽにしていく!というかなり実践的なものでした。
先生と一緒に、皆で少しの時間この瞑想をしてみました。あの体験も先生のバイブレーションが伝わってきて、パワフルで、今後の生活に役に立ちそうな感じでした。

そして、今回、私が一番印象に残ったのは
先生が道元禅師の「放てば手に満てり」というお言葉を紹介して下さった時のことです。
例えば人が色々なものに執着して手放せなくなって、物がなくなることを恐れたり、それが原因で苦しんでいるとします。しかし、道元禅師は一旦その執着を捨てて全て手放し、手のひらを上に向けてみたら、宇宙が手に入ってしまった。
というお話です。


先生がお話しながら手の平を上に向けて「宇宙が手にはいります」と言った時、何ともいえない喜びのようなバイブレーションを感じたのを覚えています。

手放すということは一見大変そうだったり、修行のように感じますが、しかし、それを実際にしてみるとそこには大きな喜びがともなうようです。このことは実践している人から感じ取るしかないようなことのようです。

 

 

今後に活かして共に実践していきましょう

先生はお話会の最後に「今日は皆さんと一体となれました」と言いました。
お話の内容も明快で分かりやすく、そして説得力と実感のある、皆さんとも言葉をこえた一体感を共有できた会になったのではないかな?と思っています。

この会の内容は私にとってもあまりに濃くそして、重要なものでしたので、これから反復して聞き直しながら、しっかり消化し、皆さんと生活に活かしていけたらと思っています。
今後も、瞑想会や勉強会を続け、そのことを皆で世界の平和と毎日の生活に活かしていきたいです。


どうぞよろしくお願いします。

山田圓尚拝

 

☆ ☆ ☆

 

今後の瞑想会と勉強会の予定です。

2月19日(日)座禅止観と勉強会 @神戸市 JR朝霧駅近く
https://www.facebook.com/events/1244335958991772/

 

この他にも関東や各地でこのような会を継続して、

また次回先生の教えを一緒に体感しにいき、どんどん理解と実感を共に深めていきたいです。

また情報をシェアいたします。

どうぞよろしくお願いします。

 

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