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京都大原三千院で堀澤祖門先生のお話しを聞く会 Vol3 報告

京都大原三千院で堀澤祖門先生のお話しを聞く会 Vol3 報告



2018年4月2日
当日の京都は桜も満開で快晴の穏やかな日でした。
晴れ晴れとした気分でお話し会に臨むことができ素晴らしい会になりました。
堀澤先生、参加者の皆さまありがとうございました。先生のお話しの内容を山田なりにまとめてシェアしたいと思います。よろしくお願いします。

 

次回のお話し会は10月15日(月曜日)です。

是非ご参加下さい。

https://www.facebook.com/events/1499614776833764/

 



お話しのテーマ「枠を破る」

枠とは何か?
枠とは相対関係
自己保存の本能もそれを助長する

お釈迦様在世当時、コーサラ国の王様は大きな権力を持っていました。広大な領地を眺めながら「誰を一番愛しているか?」考えました。その結果「自分を一番愛している」という結論に達しました。妃にも同じ質問をするとやはり「自分を一番愛している」という答えでした。二人とも自分たちの答えに「これでいいのか?」という疑問を持ち、釈迦に質問しました。そうすると釈迦は「その通りだ。その答えは正しい。しかし、大王よ、この国の民や全ての者が同じように考えていることを覚えておくべきだ」と助言しました。

オリンピックなどの競技も基本に相対関係がある。
ある有名な選手が金メダルだけに意味があり、他のものには価値はないと言っていたが、なんだかそれはちょっと聞いていて悲しかった。本当に金以外には意味がないのか?ナンバーワン志向には疑問があります。

二元相対的な考えしかないと思っていると、他を排除する思考に陥りやすく、争いや戦争の原因にもなっている。人は二元的な考えから逃れることはできず、争うしかないのか?人間とは何なのか?そういう疑問をもったお釈迦様が出家して修行を始めました。

四門出遊
お釈迦様の出家のエピソードがあります。城に住んでいたお釈迦様が東の門から出て国を見に行くと老人に出会い、南の門から出ていくと病人に出会い、西の門から出て行くと死人に出会いました。どの人たちにもその苦しみから逃れる方法がないようで絶望感を持ちました。しかし、北の門から出た時に修行者に出会いました。彼らの目はこのような世間の中にあってもキラキラしていました。お釈迦様は、そこにはきっと何かある!と感じ、お城を捨てて出家し苦行者になりました。

精神性に救を求める
インドでは苦行者が讃えられています。人が肉体と精神のバランスで出来ているとすると、肉体のバランスを小さくしていくと、精神性が大きくなるという感覚が根底にあるように思います。釈迦も苦行に没頭しました。6年間の激烈な苦行をしましたが悟ることはできなかった。死の直前まで苦行したが正覚が得られない。何故か?とお釈迦様は考えました。その理由の可能性としてー分の修行が充分でないから。苦行という方法が間違っているから。という2つの答えの選択肢を思い、深く考えた結果、,砲弔い討麓分は苦行者の中でも一番厳しく修行をしてきたから、苦行が充分でないという事はない。よって△龍豺圓箸いκ法が間違っているということであろう、という答えにたどり着き、苦行をやめました。

釈迦の覚り
そして、尼連禅河という川の前の菩提樹の木の下に座り、「正覚を得ずんば 再びこの座を立たず」と言って座り、その結果7日間の座禅の末、夜明けの明星と共に目覚め、悟りました。ブッダとは目覚めた人という意味です。枠を破った人と言っても良いと思います。経典にはそのことが書かれていますが、経典はあくまでも言葉での伝承ですので、体験そのものを伝えるということは経典ではできません。では、どうして釈迦は悟ったと言えるのか?それは最初の疑問である生老病死という課題を解決したか?どうか?で分かると思います。

釈迦は生老病死の課題を解決したから悟ったと言えます。
生の枠や全ての枠を破ったとも言えるのです。


例えば
インドの夏はとても暑く、寿命は短く、50歳くらいが寿命でしたが、お釈迦さまは80歳まで長生きしました。病気をし、疲れ、死を目の前に横になった時、従者のアーナンダは「まだ我々は迷っている。お導きがまだまだ必要なので死なないで欲しい」と言って泣きました。それを見た釈迦は「世は無常である」と言って、死は目の前にありますが、それを受け入れ悠々としていました。死を恐怖し苦しむのは、死という観念の枠にとらわれているからで、そのとらわれから抜け出せばよいことを釈迦は示したのです。
そして、釈迦は今までお世話をしてくれた事にたいして、アーナンダに感謝の言葉を伝えました。

観念に囚われるな
病気をした人は、もちろん身体が痛く、身体的に苦しみます。そして、それに抵抗するともっと苦しみ迷うことになります。思い悩む。しかし、覚った人は思い悩むことがありません。観念の枠を持たなくてすむからです。悠々と年を取ることもできます。釈迦も病気をし肉体的には苦しみました。しかし、苦しむ時は、ただ苦しむだけでした。そして、死ぬときはただ死ぬ。頭で考えても分からないかもしれませんが、「枠を破る」と言ったら分かりやすいかもしれないと思い、この言葉を使っています。そして、男と女という枠を捨てる。年齢という枠も捨てる。覚ったあとは、ある意味人は動物のようになるともいえます。悠々と年をとり、悠々と死んでいく。そうすることで思い悩むことがなくなるのです。


空のお話し

「色即是空 空即是色」と言います。
色は目に見えるもの全てという意味です。目でとらえられるものは色。耳は声、鼻は香、舌は味、身は触、意は法という風に五根(目耳鼻舌身意)の感覚と五境(色声香味触法)を対応させて現象を捉えます。色(しき)を現象の総称として「色即是空」の色を解釈します。色は二元相対で、空は一元絶対の世界という風に考えます。

出家者の希望
私達は現象の世界で生きています。しかし、私達はいつか死ななくてはなりません。ですから、私達にはこの現象の世界しかないと思うと救いがなくなってしまいます。平和をとなえても、結局別々なのであれば、真の平和はやってきません。現象は変わりゆくものであり、現象界の現実だけでは、生老病死の苦しみから逃れることはできないのです。そこで、世間で解決できない問題を出世間で解決しようとしたのが出家者達です。そして、色即是空を体験した方々は「そうだったのか!」と目覚め、現象界の苦しみにとらわれなくなったのでした。このように色を空にするのが修行であり、座禅などもその方法のひとつです。

ワンネス
そのような体験を通して、人が空になったら境がなくなってしまいます。あなたの空とか私の空という境もなくなり、ただ一つの空があるということになります。一元絶対の絶対は漢語読みでいくと「対を絶する」という風に読み、「対立するものを絶する」と捉えます。対立がなくなると一つになり、そして、もともと一つしかなかったのだということにも気づくのです。

執着を手放す
しかし、このようなことを悟ったとしても、それは悟りのほんの入り口を垣間見たにすぎない場合も多いと言われています。「正師を得ざれば学ばざるに如かず」. これは、正しい師匠(先生)のもとでなければ、学んでいないも同然だという意味の道元禅師の言葉です。
実際に覚った後でも、色々な場面でそのことを活かしていかなければなりません。例えば、お金に執着しないということです。お金をもらったとして、それは仏様の物を一時預かっているだけであると私は思っています。地位や名誉に執着してもいけません。たとえ、自分を馬鹿にされても気にしてはいけません。自分に執着してもいけないからです。空になった喜びにすがるのも良くないですし、好き勝手になんでもするというのもいけません。それは、色即是空のあとには空即是色ということがあるからです。

実有と空と仮有
空を知る前の私達は「実有(じつう)」の世界に生きています。そして、そこから「空」を体験し、空の状態から、またこの現象界に戻って来るということになるわけです。そして、空を体験したあとの「有」を「仮有(けう」と読んでいます。この仮有は色であって空であり、空であって色であるという意味を持ち合わせます。この仮有を生きている人は権力、お金、自分自身などへの執着を全て捨ててしまいます。

おろかなものは自分の子供だ自分の財産だと言って思い悩みます。ところが自分自身がすでに自分の物ではないではないことに気づくべきです。それなのに、なぜ、自分の子供を自分のものといえるのでしょうか?自分のものでないものを、自分のものと思い込み、思い悩むのは愚かなことですね。

妙有なる生き方
仮有な存在としての本当の仕事があります。仮有としての釈迦は45年諸国を巡り法を説きました。このような存在を「妙有」と呼んでいます。

実有の世界から空に飛び込み、そこから出て、また妙有の人間となることをお釈迦様は体現しました。
覚る前は人は人である。修行すると人は人でなくなるが、もっと修行をすると人は人にもどる。普通なのが良いのです。

☆ ★ ☆ ★

 



魚山園さんで食事をいただいた後の質問タイム中
堀澤先生のお応えで山田が特に印象に残ったお言葉



質問 修行中や覚ったあとの、良い心構えを教えて下さい
お応え 修行中は、まだまだと思ってもいけないが、終わったとも思ってはいけない。



質問 目標を達成するにはどうすれば良いですか?
お応え 目標ばかりに気を取られて、今の自分を見失ってはいけない。泥仏の例えにもあるように、私達は本来仏です。凡夫は本来仏であるのに、仏を求めるからおかしなことになるのです。



質問 皆が仏であるとしたら、業というものをどうとらえたらよいですか?

お応え 禅の公案で百丈禅師の不昧因果(ふまいいんが)というお話しがあります。これは昔、「覚った後も因縁や業の制約を受けるか?」という質問に「不落因果(制約をうけない)」と応えた僧が、野狐になってしまって、500回生まれ変わってもこの野狐の姿から脱することができなくなってしまいました。百丈禅師が説法していると、いつも見慣れぬ老人が来るので、その老人に「あたなは何者か?」と問うと実は生まれ変わった野狐だと答え、その野狐が私を救って欲しいと言い、同じ質問を百丈禅師にしました。そうすると禅師は「不昧因果(因果を昧(くら)まさず。因果は因果として明らかに知っておくことをごまかさない)」と応え、その応えを聞いた野狐は即座に悟り、その野狐の姿から抜け出すことができたというお話しがあります。
私達は自分の行いをこのように見て、つねに正さなくてはいけないのです。
(不昧因果参考HP http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/071101.html

 

 

今回も皆で深い学びの時間が持てて心から感謝しています。

また継続的にこのような時間を持てたら有り難いです。

 

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山田拝

 

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昨日までの三日間、無事に断食護摩修行をすることができました。

昨日までの三日間、無事に断食護摩修行をすることができました。
ありがとうございました。


一日目は草刈り修行になりましたが、
2日目、3日に予定をぐっと詰めて、お陰様で予定通り8回護摩を修行することができました。
今回「8」という数にしてみたのは、フィボナッチ数列を参考に、胎蔵界曼荼羅の中心は中台八葉院というのですし、良い数なのかもしれないと思い試してみました。
2日間で4座づつ出来たのも集中力を維持するにはちょうど良いペースで
サンダンスも1日4ラウンドなので、自分の気持ち的にも流れに乗れた感じがして
結果は良かったと思います。

今回はヒロミさんと別府さんが最初から最後まで一緒に断食して修行しました。毎座、智慧や思いをシェアしながら、一生懸命に共に修行して、良い経験を分かち合えました。かけがえのない時間を共に出来たことを、有り難く思っています。

1日目の夕方には地元の春日さんや岡さん達が参加して下さり、とても良い時間を過ごすことができました。
2日目は地元の河本さんや京都の谷やんさん夫妻や神戸のアキさんも参加して下さり、皆の祈りの力を合わせて良い修行になりました。特に谷やんさんは普段から滝修行されているせいか、祈りも深く、御真言をリードしていただいて、全体のエネルギーが調和して上昇していく感じがして、とても有り難い感覚を味わっていました。

自分的には、先日7月に参加したサンダンスでは中心の聖なる木から、世界に遍満している命のエネルギー(色々な表現が出来るのですが、今回はその言葉がしっくりくるので、そう書かせていただきます)そのままを感じ、そのエネルギーと共に歌い、踊り、4日間歌い続けても喉もかれる事無く、自分自身もエネルギーと愛に溢れ、参加している皆とも愛を分かちあい、家族のようになれた素晴らしい体験がありました。

その遍満している命のエネルギーは、不動明王や大日如来と名付け、私が仏教修行の中で拝んできたものと同じであると最近の毎日の修行の中で感じていました。


聖不動経というのがあります。
http://piicats.net/hudoukyou.htm
この中に「(不動明王の)無相の法身 虚空と同体なれば その住処なく ただ衆生の心想中に住したもう」
という部分があります。私の理解では「不動明王の本体は形がなく(場所に限定されない=)世界に遍満していて ただ私達の心の中に映し出されるのである」と感じています。

命のエネルギー、非現象界、絶対一元、空、仏の法身、などは本来あらゆる表現や形に表すことが出来ないものです。表現した瞬間それは相対二元の世界から逃れることができないからです。ですが、それを感知する為の道しるべとして、名前や智慧や教えがあります。ですから、あらゆる信仰がもしもこの命のエネルギーに繋がっているのであれば、文化によって呼び名は違えど、信仰しているものは同じだと感じていますし、それを感じあえる人達は調和の内に尊重し合うことが出来るのを何度も見てきました。

今回の断食護摩修行では、サンダンスで感じた、あの命のエネルギーの実感と共に修行してみましたら、不動明王の法身に心がいつもより集中できたような気がして、とても素晴らしい体験ができました。自分の中でもネイティブの教えと仏教は深く繋がっています。

私達が普段の生活で感知しようと、しまいと、私達はその世界に遍満する命のエネルギーに活かされています。それは太陽を光らせる源の力とも言えるし、無限に大地から育つ草花を成長させる力でもあり、私達が全然意識せずども心臓を毎瞬間動かしている力とも言えると感じていますし、私達の魂が来て帰る場所とも感じています。毎日その力なしに生命は存在することができなく、永遠にその営みは続いていきます。私達の命は不可思議なものですが、でも、現にここに存在している、有り難いものなのですね。

でも、その命のエネルギーを普段から実感し、感謝し、いつでも共にある感覚で生活するのはなかなか難しいのも事実だと思います。古来から人々はそのことを感じていて、定期的にこのことを実感する為だけに過ごす時間を設けていたようです。そうすることによって、毎日の生活の中で命の本質が明らかになり、感謝と謙虚さの中で暮らしが充実し循環していくのも体験していたからだと思います。サンダンスもネイティブ達が自然と共に暮らしていた何万年まえも続いているものですし、お彼岸やお盆などの仏事も本来同じコンセプトで継続されきたものです。

このような期間は現実的にはまったく非生産的ですが、現象世界の裏側であり、根源ともいえる世界と繋がってはじめて個人や社会のバランスが取っていけることを理解すると、必要なものなのでしょう。
私が子供の頃に体験した、東京の下町の祭りにも同じ感覚があったのを覚えていますし、サンダンスにも、護摩修行にも同じ感覚を覚えます。そのようなことが個人的にも社会的にもしっかり機能している文化はとても健全で愛と調和に溢れ平和だったのだと思います。

命そのものを理解できなければ、命を大切にすることもできないでしょう。
命の繋がりを理解できなければ、他の命を敬うこともできないでしょう。
私達の命は、世界に遍満する命のエネルギーで一つに繋がっています。

この命のエネルギーを真に感じる機会を失えば、バランスを崩し、
世界は悲しみと争いに満ちてしまいます。それが、今の人間社会の悲しい現状でもあります。
しかし、人間社会や私達の心がいかに荒れようとも、自然界、宇宙が命の法則によって動いていることになんら変わりはありません。私や社会はそのような存在からしてみればあまりにも小さく、私自身、社会自体が命の法則から外れてしまうことなど出来ないのです。
そして、心を静めて感じれば、私達がその命の法則、命のエネルギーに生かされていることを、感謝と感動と共に実感することができます。

私はこの命のエネルギーを再び皆で感じ合うこと、その場をシェアしていくことに、自分の人生の焦点をあてていきたいのです。この存在が意識から外れている活動に空虚さを感じているのも事実です。

命のエネルギーは表現しきれないことは承知です。でも、そこに繋がる確かな道しるべを、仏の教えや、ネイティブのご縁から分かち合っていただいて来たことは確かで、深い体験と実感もさせていただきました。このような方法が全ての人に向くとはもちろん思っていませんが、ご縁の方々と、このようなリアルな智慧を謙虚にシェアしていけたら嬉しいです。

今回の護摩修行でも、世界に遍満する命のエネルギー、不動明王から、力をいただき、断食断水していても、活力にあふれ満行することが出来ました。
私は小さな存在ですが、同時にその大いなるものの一部であることを感じ、謙虚に感謝と喜びの内に修行することができました。
これからも毎日の暮らしの中で、そのことを思いながら生きていけたらと思います。

Every Day is Sundance !!!!

そして、世界が平和でありますように。

いつもありがとうございます。

ホーミタクエオヤシン

山田拝

 

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密教 断食護摩修行 → Rainbow Walk for Aso → Rainbow Forest Camp 2016 ~Trance for Future~

秋分のスエットロッジのあと
綾部の普光寺 森ヶ谷 グラウンドにて
9月23日〜25日まで断食断水護摩修行をしました。

スエットのあと
リョウタさんとコズちゃんが残ってくれて三人での修行となりました。

今回はヘビのおかげで、壇を新しく作り変えて、円壇にしてみました。


調べてみると、息災の護摩修行は円壇が良いと知り、なんだかうれしいかんじ。
妙にしっくりきています。

ウォーク、サンダンス、祈りのツアー、お話会、金沢文庫芸術祭、スエット、そして護摩修行ということで、精神的には良い流れができていました。

始めから、ぐっと修行の中に入ることができました。
10月3日〜10日まで行う、Rainbow Walk for Aso で広島の火を持って祈らせていただきますので、今回の修行で自分の精神を整えたい気持ちもありました。

最近お話会でよくお話しているのが、お釈迦様の悟りの如来如去のお話と、般若心経のお話です。
かなりざっくりいいますと
如来如去は「ありのままに来る、ありのままに行く」から大丈夫という感じになりますし
般若心経では「私たちは空で一つにつながっている」から大丈夫という感じだとお話しています。

 



護摩修行は?
密教の修行ですので
行者の身口意(行動 言葉 意思)を統合させて、仏の身口意と融合させることを目的にしています。
姿勢を正して印を結び マントラを唱え 観想する
護摩修行では
実際にはなかなか統合できない、仏と融合できない原因となる何かを
不動明王の智慧の炎で燃やして
変わりに白い甘露の水を与えて、悟りの芽を育てましょう!
というのも護摩のコンセプトのひとつです。

 



リョウタさんは三回目の断食護摩修行参加
コズちゃんは初めての護摩修行でしたが、普段からいつも一緒にお勤めしているので慣れたものです。
普段から不動明王のマントラも良く一緒に唱えているので、普段唱えている真言の意図が、護摩の炎によって意識しやすくなるので良かったと思います。

浄化の智慧の炎はエネルギーを変革させます。滞っているエネルギー、こんがらがっていて荒いエネルギー、貪欲に求め続けるエネルギー、それらのものを智慧の炎のエネルギーで高めて、整えて、そして無限である空と繋げます。

 



どうすれば、そうなるのか?今回の修行の中で常に意識していたのは手放す!ということです。
如来如去の教えにもあるように、「あるがままに来ている」のですから
「あるがままに手放せばよい」
手放さないと循環が滞って、本来入ってくるはずのものが、入れなくなってしまう。
いつもは私たちはこの状態ですね。
ですから、その大いなる力は必ず来ていると安心する為のものが、仏教やネイティブの智慧の大きな意味なのかもしれません。
安心して手放すモードになると、いままで、入りたくても入れなかった多くのエネルギーの存在に気づいて、同じ場所にいてもまったく別の世界が広がったりします。

 



最近は良くお話させていただいていることもあって、自分の中でこの意識が鮮明でした。

なので、手放そう!と
私達の身口意はひとつの器ですが、このエネルギー状態を高め清めて
とにかく通りの良いように、こころがけて修行しました。

2日もすれば、自分の行為が食べ物や飲み物にいかに支えられていたかが良くわかります。
普段、自分が言ってるやってると思っていることのほとんどは、食べ物飲み物のお陰でさせていただいていることも実感します。繋がりの中で生きているのですね。ほんとに有り難いことです。

でも、その繋がりと自分を混同してしまってはいけませんね。
それはあくまで、他との繋がりですので、感謝して、させてもらっていることとして、自分がしてる!などとは思ってはいけないですね。

食べ物、飲み物の力が無くっなってくると感じてくるものがあります。
それは物質を介していない、エネルギーの循環です。
常にふりそそいでいるエネルギー
そして、ふりそそぐエネルギーと同じエネルギーが自分の中にもふつふつとしていること。

 



断食断水で修行して、ちょっと普段のバリアーを取り外して
手放したら、そこに無限のエネルギーが降り注いでいることを感じることがあります。
護摩修行の場合、その一つの現れとして、智慧の炎が目の前にあり、サポートしてくれます。
自分の中にもその力が宿っていることも感じます。
内と外の世界は繋がっていて、一つ!良く言われていることですね。

そして今回、最後の修行の時にそれは起こりました。
断食断水しているのに、エネルギーに溢れました。
炎のエネルギーとすっと一体になった感じで
至福でした。
溢れ循環しているエネルギー
一体感
戻ってきた感じ
不動明王の力か
宇宙の力か
この繋がりさえ感じていられれば大丈夫!
自分は至福です。
あとは分かち合いたい気持ちになりました。
この世に生まれたからこそ分かち合いたいのです。
そこに大きな喜びがありますが
それは宇宙の法則にのっとったこととも感じます。
そのままであることは至福なのですね。

 



ま、もう迷ったり、疑ったりは終わりにしたいですね。
今までもさんざん修行してきましたが、もう、その大いなる愛のままに生きよう!と思いました。

仏教には
「入我我入」(にゅうががにゅう)という言葉があります。
行者の働きと仏の働きが一体となってしまうこと!

本来私たちは生かされていることを感じると
意識しても、意識していなくても、存在はその状態なのかもしれませんね。
ただ、それを意識できれば
同じ状態を至福として味わうことができる。
その至福から行動すると、また次の繋がりがより鮮明な方向に繋がっていくということだと思います。

この喜びと至福と共に
皆の願いがありますように。

ネイティブは繋がりを取り戻すことが癒しだ!と言ったことが良くわかります。

 



断食が終わって、
断食明けの食事をして、
4時ころからリョウタさんと二人で片づけを始めました。
護摩の片付け
ティピをたたんで
スエットの毛布をかたづけ
テントをたたんで
キッチン用具を片付けて〜
始めてみて、これは二人では終わらない量ですね〜とリョウタさん!
確かに沢山あります。
雨も降ってるしどうしよう?とも思ったのですが
心はまったく揺るがず、ま、やりましょう!という感じ。
リョウタさんは新潟まで車運転して明日しごとなので5時半くらいに帰っていきました。
僕は、残って7時半ころまで作業!
真っ暗になったけど、でも、不思議と全然疲れなかった。
今も、力に溢れ続けています。
修行の成果!ありがたい!ですね。

そんな感じで、
一体感の至福の中、Rainbow Walk for Aso !
歩いていきたいと思っています。

http://blog.7gwalk.org/?eid=1262608


今回は原爆の火と共に祈らせていただきます。
重大な意味があります。
私達が一体感の至福からはなれ、満たされない心にとらわれた時、そこには貪欲さと奪い合いが生まれてしまいます。
その連鎖がつづくと、争い、戦争、そして原爆の地獄まで続いてしまいます。
私達が繋がりを失うということは、このような結果を生み出すことになることを
原爆の火は伝え続けています。
先日も原爆の火を伝え続けてきた山本拓道氏にもお話を聞きました。
「最初はこの火は怨みの炎でしたが、時がたち、村でこの火を守るようになり、供養の火、平和を願う火になりました」
私たちは過去から学ぶことで、いまここの自分のあり方を見つめ直す必要があるのかもしれません。

Rainbow Walk for Aso
は母なる地球の声に耳をすまそう!をコンセプトとしています。
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私たちは、もう一度、母なる地球の上に生きる、全体の中の一つの生命として
自分たちを再確認できたらと思っています。
今回は様々な趣向をこらし!
みなで歩き方とか、話し方とか、聞き方とか、歌い方とか、踊り方とか
工夫して、よりリアルに繋がりを感じられたらと思っています。

そして

Rainbow Forest Camp 2016 ~Trance for Future~
に参加します。



デニス師に僕を出会わせてくれたのが
1999年のRainbow Parade で
そのパレードの主要人物の越智さんと岡野さんとご一緒させていただきます。
今回の集まりもすごく大切に思っています。

トランスという言葉を理解する時に僕はトランスパーソナル心理学のことを思いだします。
沢山情報があるので、ぜひ検索していただきたいのですが、
ウィキペディアによると
「トランスパーソナル心理学(トランスパーソナルしんりがく)とは、1960年代に展開しはじめた心理学の新しい潮流で、行動主義心理学、精神分析、人間性心理学に続く第四の心理学。人間性心理学における自己超越の概念をさらに発展させたとされる。人間の究極的な目的とは、自己を越えた何ものかに統合されると考え、そのための精神統合の手法を開発した。」
とあります。

自己を超越したものとの統合
それはまさに密教が志すことと同じです。
密教には多くの証が内にも外にも示されています。
私が体験してきた祈り、音楽、ウォークも同じコンセプトでしたし
トランスミュージックの中にもそれを感じたことがあります。

一体である至福感を思い出すこと!
それが未来の平和へと繋がる大きな鍵だと思うのです。

Rainbow Forest Camp
では踊り(行動) 祈り(思い) 伝える(言葉) の統合を自分なりに思い描いています。
私たちはこの祈りの部分を主に担当します。

星の村から原爆の火を四日間祈りのうちに歩いて、阿蘇まで運び
会場でその、繋がりと共に、一体感の至福の内に、祈りを分かち合うことを理想としています。

断食修行で明らかになったような
あの一体感をシェアする為に
Rainbow Forest Camp 期間の8日〜10日まで僕たちは断食して祈ります。
原爆の火という切実な存在へのリスペクトもそこにはあります。

今回は、そんな祈りを大きな全体の一部としてしっかりと機能させ、
皆の願いが大いなるものと一つであるという自己の超越
そのトランスが未来への希望なのであると
しっかり、意識しながら、祈りを捧げたいと思っています。

どうぞ、よろしくお願いします。

ホーミタクエオヤシン

山田拝

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3月23日 断食護摩修行を満行して〜こらから始まるレインボーウォークの精神的準備ができました〜
3月21日〜23日の間、3日間断食断水して護摩修行しました。
お陰様で一緒に修行した、ヤスちゃんとジュンちゃんと三人で良い感じで無事に満行できました。ありがとうございました。


護摩修行は、マントラと印と観想を調和させて、不動明王の浄化の炎と一体になることを目的としています。密教的に言うには修行者の三業(身口意)と、仏の三密を融合させる修行ということです。
(今回は写真撮らなかったので、前回の写真)

私なりの言葉にしてみますと、無限であり、おおいなるもの、母なる地球、水、火、風、空と一体になる、命の源と繋がる試みということです。

断食断水していると、当然、今まであった、食べ物飲み物から得る力というのは割りと早めになくなります。

しかし、いままでも修行中のあり方が、その、おおいなるものとしっかりと繋がったあり方であれば、物質を介さずに、ダイレクトに力をいただける経験をしてきました。

今回は、すっと、穏やかに、その繋がった状態になることができました。
今もその状態を保てています。
2月からのウォークの流れ、20日にしたスエットロッジ、一緒に修行したヤスちゃんとジュンちゃんのバイブレーションのせいか?自然と力に溢れる状態になれました。
普段の生活と修行生活のギャップがあまり無くなったということなのかもしれません。

(二日目の朝は霜がおりるほど寒かったです)

もうひとつ気をつけたのは、
自分の中の「気づき」と「力」のバランスをいかにとるか?ということです。
力を意識しすぎて、自分の中の気づきというか?内なる光というか?精密なバイブレーションを見失うと、大いなるものとの繋がりが薄まってしまうし、内側だけを意識していても全体が感じられなくなり繋がりが閉じてしまいます。
精密かつパワフル!それが大いなるものと繋がる大切なポイントだなと感じ、実践してみました。

(綾部からの帰り、雲が光を受けて放射状に伸びていました)

その結果感じたのは清々しい幸福感と力に溢れる感覚でした。
常に与えられている大いなる愛への謙虚な感謝の気持ちでした。そして、私もその大いなる愛と融合することが出来たのであれば、その流れにのって、自分も手放そうとしたら、本当に一体となれた感じがしました。
コツはありますが、人は普段の生活が整っていれば、大いなるものとすっと繋がることができます。私たちが大いなる愛の一部であることを体験できます。
朝になれば明るくなるのは、太陽が無尽蔵に与えてくれる愛の光によるものだし、地球はそれを受け止め、月との調和の内に水が運ばれ、木々や草花は無限のサイクルの内に成長していきます。
この世は愛の循環で出来ているのだと感じていました。私たちはその愛をを、それぞれに無限に受け取ることができ、分かちあうことが出来ます。

https://www.facebook.com/rainbowwalk2016/
レインボーウォークのコンセプトで
「虹のように調和して、愛の力を分かち合おう」
というのがありますが、その言葉にも導かれて、そのことを芯から確認することが出来た感じです。

私たちは修行と言う方法で、そのことを体験しましたが、多くの方が、このような「大いなる愛」のもとに、それぞれに農やコミニティーや子育てやアートなどなどと関わっておられます。母なる地球と繋がり直そう!は大切なコンセプトですが、その繋がりを醸していく、すでに繋がっている酵母のような存在になっていく、そんな方々と繋がっていきたいです。

浪費と搾取と格差が肥大し、病に陥っていて瀕死の物質至上主義、資本主義社会から、次の健全な社会を皆で創造するにあたり、この理解を共有することは、出発点であり基本になってくると思います。
このことを理解しなければ、欲望の荒波を乗り切っていくことは不可能でしょう。

もう迷っている時ではありません。
この愛を有機的に繋げながら、レインボーウォークで長崎から東京まで歩いて行きます。

どうぞよろしくお願いします。
ホーミタクエオヤシン

山田拝

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どうぞよろしくお願いします。
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9月30日 断食護摩修行を終えて
photo by masanori terai

昨日お陰さまで無事に7日間の断食護摩修行を満行することができました。
ありがとうございました。

広島〜長崎の戦没者供養のウォーク
そして、アメリカへサンダンスの旅に出かけ
帰国してからは、国会前で戦争法案の強行採決の日にデモに参加し
その後、新たなビジョンを持ち、皆とシェアしながらの護摩修行でした。

私達は戦争法案に反対し、平和を守れるか?どうか?の瀬戸際に立っています。
今までは、与党の方々の良心に少しは期待して、交渉をしていたわけですが
システム上それは不可能であることが、今回判明しました。


でわ、どうすれば良いか?
とにかく、先ずは来年の7月の参議院選挙にむけて
平和を求める、私達が”Unite”しなければなりません。
選挙制度上考えても、私達がしなければならないのは
分裂している戦争反対派が一つになるにはどうしたら良いのか?
を考えることでしょう。

どうすれば一つになれるのか?
それは、エゴを越えていくしかない。

でわ、どうすればエゴを越えていけるのか?
そうする為には
私達は本来自然の理の中、調和の内に
一つであることを思い出すことが不可欠だと思うのです。


今回の修行道場であります京都綾部の普光寺 森ヶ谷 グラウンドは
電気、水道、ガスなど一切通っていない、自然のままのバイブレーションを感じられる場所です。
そこで、このように修行をして、命の真実について考えられるのは有難いことです。

特に最後の3日間は断食断水をして修行します。
毎日三回の護摩修行をしますので、体力的にはなかなかハードです。
photo by masanori terai

でも、私達は最後まで力に溢れていました。
もちろん、先人から受け継いだ行法や智慧に大いに助けれたことは言うまでもありませんが、
命の真実に繋がり治すことで、私達の中にある命の力が沸きあがってくる体験を共有することができたのです。

photo by masanori terai

今回の修行はご縁あってテライさんとユミちゃん最初から最後まで一緒に参加していただきました。
テライさんは山伏修行の経験もあるので、修行者として精神的な強さをお持ちで、修行についてくるのは難しくなさそうでしたが、ユミちゃんは真っ直ぐな心を持っていますが、このような修行は初体験!どうなるのかな?と思いきや、最後の座は

不動明王の浄化の炎の力と
私達の祈りの力が共鳴して、
煩悩を乗り越え、エゴを乗り越えていける
歓喜の光の渦が天に舞いあがっているようでした。

photo by masanori terai

私達は3日間の断食断水中ですので、物質的な力が有り余っていたわけではありませんでした。
しかし、この7日間で心身を研ぎ澄まし、物質以前の力にアクセスするチャンスを得たわけです。

自然界で周りを見回しますと、実はそんな力に溢れています。
植物達は光から常に物質を生み出しています。
私達は、作物や水という物質を通して、その命の恵みをいただいているわけですが
人間もその命の力に物質を介さず、直接アクセスすることができます。
それを、私達は今回、実感したわけです。

photo by masanori terai

この湧き出す命の力に目覚めてこそ、ホントの意味で、この物質世界で分かち合うことが出来るのだと思います。

相対二元の物質の根源は絶対一元の物質以前の力です。
私達はそこから生まれ、そこに帰っていく。

私達は本来、無限なのですから
遠慮なく分かち合うことができるはずなのです。

そのホントの意味で分かち合うことが
ホントに意味での愛と平和に繋がっていくのだと感じています。

photo by masanori terai

それを、仏教では
「色即是空 空即是色」
と表現していますし

大本教では
「宇宙の本源は活動力にしてすなわち神なり。万有は活動力の発現にして、すなわち神の断片なり 」
と説き

ネイティブは
「ワカンタカ トンカシラ」
といいます。

植物はそんな力と常に共にあるわけですし
母なる地球や太陽や水、風や空気も
本来、全てそんな調和の内にあるのです。


私達が、その調和のもとにもう一度気づき治すことができれば
私達は、母なる地球が私達を愛してくれるように、愛し合えるのです。

今回は護摩の浄化の炎に助けらて
その大いなる命の力を感じ、一つになれる体験を共有しました。
私達は調和し、世界の平和のもとをみました。

これは思いがあれば、だれでも出来ることと思います。
むしろ、私達はこの命の力に生かされていない人などおらず、
ということは
大切なのは思い出すことなのです。



そして、ご先祖様のことを考えますと
物質的な面だけでなく、根源的な面も理解して、
初めて世界に調和が訪れることを
本来皆が知っていたということだと思います。
ですから、祈りの無い民族、部族はどこにもないのです。



というわけで
ちょっとしたコツをつかめば
誰でも、この至福の気持ちを思い出すことができます。

もちろん寺井さんのように普段から修行されている方はよりスムーズに出来ますし
純真なユミちゃんのような普通の女の子でもそれはできます。

私達がしている断食護摩修行にもそんな力があります。
今回、私達はそれを証明しました。

もちろん、断食や護摩修行という方法をとらなくても
その、無限の力と調和し、ホントの意味で分かち合い、世界を愛と平和で満たすことは出来ますね。


それをしている多くの人と歩きながら出会ってきましたし、まだ出会っていない人ももちろん沢山いるのだと思います。
そんな、人達と協力してこの大切な時を

平和に向かって
命の道の上
美の内に
祈りと共に
どこまでも歩いていきたいです。

いつもありがとうございます。
お陰さまで愛と希望に満ちています。



ホーミタクエオヤシン

山田拝



21箇座断食護摩修行 @ 綾部 普光寺 森ヶ谷 グラウンド 7日目 満行報告
7日間にわたる断食護摩修行 お蔭様で無事に満行することができました。
ありがとうございました。

最後の3日間は断食断水での修行でしたが、最後の座は、皆、力に溢れて、宇宙の真理と一体となる瞬間を垣間見るような、素晴らしいお祈りができました。



断食断水の行が始まると、あっという間に力がなくなります。
普段、水や食べ物からいかに力をいただいていたか、改めて実感するわけです。
いつもは、そんな頂いた力、借り物の力を、自分の力のように振舞って、そこまでの感謝もなく、当然のように、借り物の力を我が物顔で振り回していたことに気づきます。
なんて、浅はかな毎日を送っていてしまったんだろう。毎日、毎瞬間に生かされていることへの感謝が充分でなかった事に愕然としたりします。



それでは、自分の力ってなんなんだろう?
人間は植物のように光合成が出来ないから、自分で物質を生み出すことは不可能です。
ですから、食べることが必要。当たり前のことなのですが、それは、植物や、その周りの自然、母なる地球や太陽、水や空気のエネルギーを、作物を通していただいていることになります。
そして、呼吸することによって、空気、宇宙からも力を頂いているのです。
だから、自然や宇宙と私達はもれなく繋がっています。
その繋がりが、私達なのだと観じました。
その繋がりをリアルに感じることが智慧なのであり、その繋がりに感謝し、讃えるのが人の役目なのではないかと感じました。



そして、その繋がりを深く止観すると、食べ物や飲み物を介さない、ダイレクトな繋がりがあることに気がつきます。普段は食べ物や飲み物という、物質を介したエネルギーが身体に充満していますので、そんなことを感じる必要も無く、気づくチャンスもなかなかないのですが、断食断水の行の時は、ある意味必要に迫られて、そちらに目が向くようになります。

そうしますと、身体の辛さはもちろんありますが、その波を乗り越えた向こうに、大いなるものから力が直接入ってくる経験をします。物質の裏側にある世界、現象世界の裏側にある世界、宇宙の裏側にある世界、絶対一元の世界との交流を体験するわけです。



全てを産み出し、全てに力を与え、そして全てが帰っていく世界。
「宇宙の本源は活動力にして、すなわち神なり。 万物は活動力の発現にして神の断片なり」
と大本教でも説かれています。

護摩の炎は、その交流を導く、大いなる智慧だと観じました。
護摩の炎が燃え盛るその瞬間に全ては灰になって消えてしまうけれども、同時に凄いエネルギーを発して、光輝くわけです。色即是空の感動が目の前にあることに気づきました。
無くなると同時にやって来る力。この自然の理を「如来 如去」の教えと言ったのだと体感もできました。



そして、それをただ見ているだけでも、納得するだけでもなく、
その宇宙の理と一体になる為に、マントラを唱え、印を結んで、護摩の火を焚き、
実践的に、その宇宙の理と同化する為の修行が護摩修行です。
それがリアルになった一つの現れとして、物質を介さず力が入ってくる体験が今回もありました。
身口意和合の密教修行の意義を噛み締めました。
もう、そんな体験をしたら、無限の力と自分が一つであることを知ってしまったら、奪う必要は無くなり、分かち合うことの方が自然で、その喜びに溢れます。奪う気持ちも戦争の原因ですから、それを乗り越えていく方向性を見せていただいた気もしています。



全ては繋がっていて、全ては愛で出来ている。
そんな事を、教えの中で先人はづずっと伝え続けてきてくれていたのです。
もう迷うのは止めようと思いました。
そして、その愛のままに生きようと思いました。
そして、その愛をしっかりと受け取るために、喜びと共に手放そうと思いました。

そして
この体験を普段の生活に投影していけたらと思います。

私達のこれからの毎日の祈りの道が、そんな命の輝きと共にありますように。
美の内を歩んで行けますように!

これから7月7日〜8月9日まで
7 G Walk for Peace 広島〜上関〜玄海〜長崎も企画しています。

世界が平和でありますように
子供達を守れますように
7世代先の子供たちに幸せが届けられますように

大いなるものよ、私達をお護り下さい、お導き下さい。

ありがとうございました。

ホーミタクエオヤシン

山田拝


21箇座断食護摩修行 @ 綾部 普光寺 森ヶ谷 グラウンド 6日目の心境 平和への祈り
お蔭様で沢山の参加者に恵まれ、ご真言を一緒に唱え祈り、調和の中で素晴らしい時間をすごさせていただいています。ありがとうございます。

今回の護摩修行では、特に世界の平和を祈っています。
7月7日〜8月9日まで
7 G Walk for Peace 広島〜上関〜玄海〜長崎も企画しています。

戦争や争いの原因を考える。

ネイティブが
「怒りは、恐れからやってくる」
と教えてくれました。

怒っている人、暴力を振るう人、一見強く見えるかもしれないのですが、その、根本にあるのは、恐れだというのです。なるほど☆彡少し、静かに怒りを止観してみると、その根底には、恐れや、不信があるのが分かります。

以前、美輪明宏さんが、言っていたのですが、「怒ることと、叱ることは、違う」。なるほど!こちらも止観してみると分かります。子供や、気づきが必要な人にしっかりと伝えるというのは、愛が根本にあること。叱るという形に表わさければならないこともあるでしょう。



でも、怒りや暴力はどうでしょうか?確かに何かを伝えたいのは同じかもしれません。しかし、怒ると心が乱れます。心が乱れていては、伝えるべきことが伝わらないですし、自分自身の意図するところも根本的な意味を失い、余計にフラストレーションがたまり、暴走していくことが多く在ります。そして、それは暴力となり、殺し合いになり、戦争に発展する場合もある。戦争とは、そんな暴走した暴力が行き着いた悲惨で残酷な結果だと思うのです。戦争の事実を知ると、それは、到底人間の仕業とは思えないほど残酷ですが、その原因の出発点は、人の心の恐れや、不信にあるということなのです。



問題の原因に対処する。

では、その恐れや不信を止観してみます。
きっとそれは、今ここにいつも存在している、命の源との繋がりが途切れてしまったことに大きな原因の一つがあると観じました。
そして、私達が、その無限で常に与えられている無形の愛の力を感じることが出来れば、恐れや不信や不安の根本的な原因が解消されることを、仏は教えてくださっています。

その教えは、「色即是空 空即是色」 「如来 如去」など色々な言葉や形で伝えられています。
でもそれは「無限、絶対一元」に関わること。
相対二元の世界に属する言葉では決して表現しきることはできない、不可思議なものです。
ですから、言葉になっている仏の教えは、真実そのものを伝えているのではなく、真実への道しるべなのです。

ですから、観じてみましょう!教えを実践して、その不可思議なる命の根源と繋がりましょう。そこには感動があります。



命がどうやって来たか、どんな風に作られたか、分からないけど、今、確かに命はここにあります。
心臓の動かし方は知らないけれど、常に心臓は動いてくれている。
この空気も実に不思議なもので、息をする時、宇宙を吸って、生きる力にしているとも言えるのではないでしょうか?
その不可思議なものから、私達の命は生まれ、私達の命は生かされ、そして、私達の命はそこに帰っていきます。



護摩の炎にその、不可思議たる命の根源を見ています。
不動明王は「大いなる智慧の故に 大火焔を現わしたまう」と不動経に説かれています。

その炎を見つめ、真言を唱え、心を研ぎ澄まし
常に生まれ同時に消えていく姿を観じ、命の根源と結びつけば、
不可思議たる、無限なる命の源と私達が繋がり直すことができます。
「無相の法身は 虚空と同体なれば その住処なく ただ衆生の 心想の中に住したもう」
と不動経にも書かれています。

その繋がり直す経験には、おおいなる感動がともないます。
そして、その感動が、恐れや不信を越えていく本当の力になっていくのだと思います。
断食護摩修行は、その感動に直球で向かうものです。

「命の源と繋がる感動は、祈りの原点であり、平和への原動力である」と感じています。

この護摩修行の実践の中から
その大いなる感動が波紋のように広がり
世界が平和でありますように。
心から祈っています。

いつもありがとうございます。

ホーミタクエオヤシン

山田拝
21箇座断食護摩修行 @ 綾部 普光寺 森ヶ谷 グラウンド 1日目&2日目報告

前回までの普光寺 森ヶ谷 グラウンドでの修行は、場開き的な意味も含めての祈りでした。

今回の7日間の護摩修行からは、いよいよ、本格的に祈りを深めていく修行です。
今、このとき、
命の奇跡を実感できるような、祈りを共有することが、とても大切なことと感じています。



心を静めて、そして、明らかに世界を観じれば
私達は全てと繋がっていると感じることができます。
私達は一つですね。

絶対一元の世界。
太陽の光を産み出す力、何億年もづっと海の波をたたせている力、風を吹かせ大気を動かす力、そして、私達の命を産み出す力、それらは、皆一つです。全てはそこから産まれ、そして、そこに帰っていきます。この世界はそんな命の源の力から、全て与えられて出来ています。ですから、「ある事は愛なのだ」と感じています。


護摩の炎の中に、
唱えるマントラの中に、
この一瞬一瞬に、その奇跡を観じて、融合しようとしています。

私達の心と身体をそんな力と調和させ、そして、共に祈る皆と調和させ、そして、炎や自然と調和する。調和すると、別々だった個と個が共鳴しあって、一つのようになっていきます。
この相対二元の物質世界と、絶対一元の命の源の力を共鳴させて、その二つが本来一つであることを実感するのです。

私達は一つです。おおいなるものとも、神仏、不動明王、とも一つです。
宇宙とも母なる地球とも、自然とも一つです。
ですから、汚すことは出来ないし、傷つけることは出来ないし、殺すことは出来ない。



戦後70年
現在の日本社会を見ると、安保法案の問題は、未来への方向性を考えると、大きな節目になることは間違えないと思います。
戦争という名の大量虐殺に、これから、どう私達が関わっていくのか?

7月7日〜8月9日まで
7 G Walk for Peace 広島〜上関〜玄海〜長崎も企画しています。


虐殺された庶民の視点から、第二次世界大戦の真実を学べば
「あんな大惨事は、これから世界中のどこにあってもいけない。戦争だけはしないで、その上で、どうすれば、愛する人と母なる大地を守れるのか?本気で考えなければならない」
そんな誓いの上で智慧を絞って考えられているのが、日本国憲法前文の精神だと思うのです。

祈りの視点から見れば、戦後日本が理想としてきた、戦争を放棄した非暴力の精神は、実に命の理にそったものだと思います。
今こそ、それを実現しようと、もう一度誓いを立てなければなりません。

それは、言い換えると、この相対二元の現世と、絶対一元の命の根源の世界のバランスをとり戻すことなのかもしれないと思うのです。

今、この時に、この護摩修行をさせていただけることに、大きな意味を感じています。

そして、私達の心が浄化され、本来の命の光が輝いて、世界を照らし、この世が平和でありますように。

子供達を守れますように、7世代先の子供たちに幸せが届けられますように。
深い祈りを込めて、修行させていただいています。



いつもありがとうございます。

ホーミタクエオヤシン

山田拝





断食護摩修行6日目7日目 満行報告@普光寺 森ヶ谷 グラウンド
7日間の断食護摩修行
断食断水で行ってきた最後三日間の修行も無事、満行することができました。
最後の座は、リョウタさんとヤマチ君と三人で修行しました。素晴らしい時間でした。
神仏の加護、皆様のサポートに心から感謝しています。ありがとうございましたm(_ _)m

断食断水をしていると、普段ある力は当然なくなります。
あ!あの力は、食べ物や水から頂いていた力なのだと実感します。
頂いていた力を、自分の力と勘違いして、遠慮なくその力を使っていました。
そして、その勘違いから、作為的に行動し、なにか繋がらない、満たされることの無い欲望を元にした行動をしてきてしまった事にも気づきます。


今は、断食断水のお陰様で、その頂いている借り物の力が無く、自分自身がクリアーに見えます、変な作為も起きる気力もありませんし、自然に、ありのままに、考え、声を発し、身体を動かします。
本来、人は神仏に近い存在です。勘違いを取り除けば、仏たる自分の正体が見えてきて、無限の力が発動します。変な方向に行かないように、しっかりと導いてくれるのが、仏のご加護、行法の力、です。有難くも、仏と一つである有難い心境に今回も導いていただけました。心から感謝しています。


特に最後の座では炎が大きく燃え上がりとても熱かったです。炎がぐっと自分に近づいてくる感じがしました。そして、その炎の熱さと自分がシンクロしました。炎のエネルギーをダイレクトに感じて、あ!世界はエネルギーで出来ている!自分もそのエネルギーと一体なのだ!と感じました。そして、であるが故に、世界と一体であり、仏と一体なのだという感覚になりました。動作や言葉が世界と共に動いている感じ!一体感に溢れる力を感じながら、こんな風に祈りは常に届いていたのだという実感を得ました。有難い一体感!でした。

仏と一体に成る、のではなく、仏と一体である境地が見えています。
本来ある私達の命の姿は、生まれたての赤子のように光り輝いているからです。
それを曇らせる為に毎日を過ごすのではなく、いろいろな助けをいただいて、更に光を増し、分かち合う為に生きていきたいものです。



そして、断食断水が終わりましても、この気持ちをキープしいくのが理想です。仏の意と繋がったままでいる。そして、本来、食べ物や飲み物は、この人の真の行いをサポートする為に、与えられている有難いものです。食べ物や飲み物は頂いている仮ものです。実は、私の身体も仮ものです。食べ物や飲み物、そして空気は、環境そのものであり、母なる地球からの恵みです。ですから、本との意味で、その恵みに感謝することは、母なる地球と繋がることになります。あらゆるものに感謝しながら、天命を全うしたいものです。
人間は複雑なことを考える思考能力を与えられている分、勘違いにも陥りやすいようです。
その、勘違いを払拭する為にも、この修行は随分役に立ちました。
今は、無限の力に溢れています。有難いことです。



世界には輝いている人が沢山います。多くの方がもう気づいておられると思います。
護摩修行はそれに気づく為の一つの方法であって、全ての人に向いているわけでは無い事も承知しています。

今回、参加者の一人は六日目で断食断水修行を止めました。この7日間の断食護摩修行は思ったより厳しいようです。私は、何年もの鍛錬の結果、何気に良い感じで修行できていますし、その効果を皆と分かち合いたい気持ちで一杯ですが、この修行に参加する為には準備が必要なのかもしれません。止めてしまった参加者が言うには、護摩の意義がちゃんと分からない、お経も聞きなれなくて、断食断水の状況の中でモチベーションがついてこなくなってしまったようでした。もしも、この断食修行に参加したいと思う方がいたら、このブログのカテゴリーの「修行」の記事を読んでいただけたら嬉しいです。この効果や感覚を分かち合えればという気持ちで今までも記事を書いてきました。



この修行をしっかりすれば、凄い効果があります。無駄についた迷いや脂肪も落ち、身体が軽くなりますし、自然な一体感を感じることができ、無条件の喜びが心に入ってきます。生きている、生かされていることへのダイレクトな感謝が湧きます。もっと、もっとと求め続けている人達とは方向性が変わってきます。満たされる為に求めることはない、すでに満たされていて、大いなるものと一体である!だから、それを分かち合う為に生きたいと思います。


そんな気持ちで自然を見たら、もうキラキラしていてしょうがないです。世界は愛と感動と感謝のかたまりです。自然は自分の本分を忘れることがありません。木は木であるし、鳥は鳥であり、その中で与え合って、自分の役割を果たして自然界は調和しています。人間だけが、何になろうか?!迷っているのかもしれません。そう考えると、自然は偉大な先生です。木も石も大地も空も!そのままであって、大いなるものと調和して満たされている。
護摩修行は炎から学び気づかされている部分が多くあります。


今回は、この普光寺 森ヶ谷 グラウンドで7日間の素晴らしい修行ができました。
自然の中の祈りの場!このように炎や大地や太陽や風や水から、目の前の命の真実が学び易い場です。
是非、皆と、こんな命の喜びの内に、祈りや良い時間を共有していきたいです。

私達の心が本来の自分に気づき、命の力に溢れ、癒され、この地が癒され、この祈りが世界に届いて、本来の姿、愛に溢れた、人間社会が現前しますように☆彡

今後ともどうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました☆彡

ホーミタクエオヤシン

山田拝


断食護摩修行5日目報告@普光寺 森ヶ谷 グラウンド
昨日もやはり快晴でした。
ホント、ここ数日お天気恵まれています。
有難いことです。

昨日、早朝は一昨日に引き続きカワモトさんが
朝の9時からは新潟からリョウタさんが、そして午後からはヤマチ君も参加してくれました。
鈴木さんも最初からずっと一緒に修行して下さっています。
一緒に修行できる仲間がいることも凄く有難いです。

昨日からは断食断水で修行しています。
でも、力に溢れています。
僕にとって、修行できることは、凄く嬉しく有難いことです。

「修行」という言葉が、なんだか厳しいとか辛いというイメージを引き出してしまうかもしれません。
たしかに、肉体的には大変な部分もありますが、それ以上のプラスの部分が沢山あります。

その一つは、食事に今まで取られていた莫大な時間を、瞑想や、話すことや、考えることに、なんの気兼ねなく使えるということです。昨日も、護摩修行の後で、お経や大本教の教えや真実について色々な深い話が沢山できました。しかも、修行した後ですと、体験しようとした後に話すので、話の方向性が妄想的になりづらく、バランスが取れた雰囲気になり、議論を戦わすというよりは、今日共にした体験を一緒にひも解くというような、建設的で前向きな感じになります。そして、断食断水していると、その話の焦点がぶれづらいようです。



もう一つは、普段は物質の裏に隠れている、全ては一つに繋がっている面が目の前に見えてくるということです。量子力学でも言われているように、私達の細胞の中、原子の中の核は物質ではなく、一定の数の電子が、瞬いては消えるというのを繰り返えしている、エネルギーの場だといわれています。物質の根源はエネルギーなのですから科学的にも全ては一つに繋がっているとも言えるわけです。
その捕らえ方は般若心経の「色即是空 空即是色」と同じだと感じます。


ですから、私達の正体は、物質の中にある、そんな電子という光の瞬きの集合体ということになります。命は常に光として湧き上がっているのです。


そんな、命の光を、目の前に一つの型として勧請しているのが、護摩の炎です。なかなか会えない、絶対一元の力と親密にお話している感覚にもなり、凄く有難くなってしまったりします。とにかく、量子力学や経に書かれている高尚な真実を、不動明王を通して目の前でダイレクトに体験できるのが、この護摩修行であると思います。そして、その存在と常に一体であることを思い出し、大いなる愛の力、浄化の力に溢れるのです。


リョウタさんが来たときに「護摩の炎は何を表していますか?」という主旨のことを聞いてくれたので「私たちは本当は「こう」だから大丈夫という事ですかね?」と答えたら「随分ざっくりですけど、なんとなく分かります」と言ってくれました。



不動経に不動明王とは「無相の法身 虚空と同体なれば その住処なく ただ衆生の心想の中に住したもう」と説かれています。「不動明王の本体は、形や光を産み出す絶対一元の世界にあります。ですから、世界中に遍満しているし、生きとし生けるものの中にあるのです」。



そして、「世界は作られた」のではなくて「世界は常に作られている」ということなのかな?と感じていました。私達のいる、今ここはなんて力に溢れている世界なのでしょうか!!!
断食断水していますが、その命の力が物質を介さず、ダイレクトに入ってくる感覚があります。
そのダイレクトな感覚が、私達の心を安心させ、力に溢れさせるのかもしれません。



今日は断食断水2日目です。
大分、普段の食事や水から頂いている力は無くなってきましたが、逆に大いなる力を敏感に感じています。普段はいただいた力をブンブンに我が物顔で振り回してきましたが、今は謙虚に、大いなる力を感じながら、助けていただきながら、自我と大いなるものの力、半分半分で動いている感覚です。もしかして、普段から、このバランスの方が良いかもしれませんね。

大いなるものと共にある
命の道の上
美のうちを歩いていく
力にこの修行がなっていったら嬉しいです。

私達が浄化され、この地が浄化され、世界にこの祈りが届き、世界が平和でありますように。

今日と明日は
午前5時半と9時、午後1時の三回護摩修行しています。
一緒に祈っていただけたら嬉しいです。

いつもありがとうございます。

ホーミタクエオヤシン

山田拝

ヤマチ君がスエットロッジに使う溶岩を近所から持ってきてくれました。
5月2〜5日のキャンプの準備も進んでいます。