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3月10日 7G Walk for Peace 2016 12日目 東京大空襲祈念巡礼
3月10日 7G Walk for Peace 2016 12日目  東京大空襲祈念巡礼

今日は3月10日
いよいよ東京大空襲祈念巡礼です。
71年前の今日、東京下町には無数の焼夷弾が降り注ぎ火の海になりました。
そして、一日で約10万人の方が亡くなったのです。
西大島駅に皆で待ち合わせをして、駅近くの羅漢寺さんにお参りしました。こちらのお寺にも当時1039人の方のご遺体が仮埋葬されたそうです。ご供養のお地蔵さんが奉られています。下町にはよく見ると、このように東京大空襲で亡くなった方々をご供養する仏さんや碑が沢山あります。このような地を今日は巡礼して歩きます。

そして東京大空襲・戦災資料センターに行きました。
http://www.tokyo-sensai.net/
こちらの資料館は民間の有志によって建てられたものです。行政からの補助金などはもらわず、庶民の「戦争のことをしっかり伝えたい」という思いで作られた心のこもった施設です。昨年、一昨年に続き三回目の訪問です。

先ず最初に映像を見せていただきました。
元は1970年代にNHKが作った番組を編集してあるものです。この映像がよく出来ています。
○東京大空襲でどの地点にどんな順で爆弾が落とされたのか?
○その当時の体験者の声。
○空襲の命令を出したアメリカ軍のカーチス・ルメイ将軍に日本から立派な勲章が後に与えられたこと
など
分かりやすく東京大空襲のことを伝えてくださいます。
もしも、皆さんがこの資料館に来たらいつでも見せていただけますので、是非見てくださいませ。

そして、次に東京大空襲の体験者のお話を聞きました。
今回の語り部は上原淳子さん 当時小学校1年生です。
上原さんは、この日、一番最初に焼夷弾が落ちた地域、深川二丁目に住んでいました。
警戒警報が鳴り、9日の夜10時半に防空壕に避難しました。
しかし、なかなか空襲警報がならないので、防空壕に待機していました。
10日の午前0時7分に空襲が始まりましたが、空襲警報が鳴ったのは0時15分の8分後でした。空襲警報が、爆撃が始まって8分後になったのは、先に見た映像でも説明されていましたが、天皇が寝ている時に防空壕に避難させては迷惑だと軍司令部が思ったからだそうです。しかし、その8分の間にあっという間に火の手は回り多くの方が逃げ遅れ焼け死にました。
上原さんの町内約150メートル四方で約50人の方が犠牲になりましたが、もっと前から空襲警報が鳴っていたら実は助かった人も多かったのです。
2時間半で33万発の爆弾が落とされました。本当に激しい爆撃だったのです。
爆撃が激しくなり外は火で真っ赤になっていました。上原さんは外に出て逃げ惑いました。
上原さんは日頃から避難する訓練を良くしていたので、その訓練を活かして火から逃げていきました。最初はコンクリートで作られている小学校に行ったのですが、満員で入れない。次に熱いので川を目指したそうです。永代橋に行くとそこも人だらけで入れない。しかし、橋の上から多くの人が熱さに耐え切れず、隅田川に飛び込んでいくのを見たそうです。しかし、この日は3月にしては40年ぶりの寒さ、飛び込んだ人は心臓麻痺の人もいたのか?飛び込んで沈んだまま浮かんでこない人も多かったのだそうです。
辺りは火に囲まれました。凄く熱いのですが、火は上にいく性質のせいか、足元は少し熱さが弱かったそうです。上原さんは地面を這って逃げていったそうです。
途中で空き地を経由しながら、そこが火に包まれると次の空き地へ、という形で逃げていきました。回りでは人がどんどん焼け死んでいき、おぶわれている子も背中で亡くなっていたのを見ました。焼夷弾の油が降ったときは防水桶に飛び込み、水中に潜って息を止め、息継ぎしながらやり過ごした時もあったのです。
そして、夜明けには新大橋の近く、今の大森の交差点の側まで逃げて助かったのです。
辺りは黒焦げの死体が無数にあったそうです。
なかでも印象に残っているのが、下半身が黒焦げに焼けどしているが、まだ息のある母と、その母に寄り添っている子供の姿でした。
何故、人が大勢住んでいる下町にこんな空襲をしたのか?
アメリカ軍は下町全体を軍需工場とみなしたと言ったそうです。
しかし、下町にあった、石川島造船とかそういうホントの軍事工場は爆撃されす、民家ばかりに焼夷弾を落としました。
資料館にも実物の焼夷弾があって手に触れることができるのですが、これが重い(^_^;)
こんなものに油をつめて大量に落とすのは、木と紙で出来た日本の木造建築を火事にするためだけに開発された爆弾なのです。人の死に方で焼け死ぬのが一番酷いそうです。
アメリカの言ってることや、戦争は矛盾だらけです。

下に写っているものは「火はたき」というものです。
戦争中はもしも、爆撃にあって火事になったら、この藁でできたはたきに水を浸して、家にかけて水を消せと国に命令されていたそうです。その命令に背けば拷問されたそうです。それが怖くて逃げ遅れて焼け死んだ女性も多かったのだそうです。
その当時は、言論統制が厳しく、少しでも日本の戦況が不利のようなうわさ話をしたら憲兵が来て連れていかれ拷問されたそうです。上原さんのお父さんも地下でラジオを聞いていただけで、スパイだと疑われ、連行されて拷問されたのでした。

当時の手紙も展示してあります。
疎開した子供達が親に宛てる手紙もチェックされて戦争に肯定的でない手紙は全部取り上げられたそうです。本当は食べるものがなくて、凄く大変だったのに親はそれを知りませんでした。上原さんも食べるものがなく、壁紙と糊を水に戻して、それを食べていたりしたそうです。
戦中、戦後も食糧難の問題は酷くて、日本人同士も随分いがみあったそうです。

しかし上原さんは、「食料問題も酷かったが言論統制はもっと酷かった。
今の憲法改悪や秘密保護法などの動きはホントに気をつけたほうがいい
と言っていました。

当時の黒こげの死体の写真なども展示されています。

戦中も戦後も、政府は庶民をいっさい助けなかったそうです。
海外で戦争のお話をして、質問されて
「庶民の戦争の犠牲にたいする政府の保証は?」と聞かれ、「クッキー五枚だ」と答えたら、海外の人は驚いていたそうです。

「戦争は絶対にしてはいけない。庶民にとって、戦争など良いことなど一つもない。
私は子供時代に子供らしい記憶など一切ない。
常に働かされて苦労して生き延びてきたのです。
今まで70年間戦争をしないで日本はこれたのですから、これからも戦争を70年以上しないでいくことが大切なことだと思っています。
戦争は絶対にしてはいけませんよ!」
私たちも上原さんのお話をしっかりと聞いて、皆に伝え、庶民にとっての戦争とはなんだったのか?を理解して、二度と戦争のない平和な世の中に繋げていきたいと、約束しました。
上原さんホントにありがとうございました。

資料館を出発し、戦跡を巡拝します。

猿江恩賜公園
この公園には当時、13242人のご遺体が仮埋葬された場所です。
今は、そのことを感じさせない、綺麗な公園です。
しかし、その記憶を忘れてしまったら、同じ過ちが繰り返されます。
その教訓を呼び覚ます為にも、皆でお祈りをしました。

菊川
この川に多数の死体が流れついたのだそうです。
その遺体を引き上げるのが大変だったと、体験談でかたられていました。


両国の都立慰霊堂にお参りしました。
このお堂には大空襲で亡くなった105000人のご遺骨が納められているそうです。

今年も3月10日は沢山の人がお参りに来ていて、堂内は花が綺麗に飾られていました。

心をこめてお祈りしました。



厩橋のたもとのお地蔵さんにお参りしました。
この橋も火に包まれ、多くの人が亡くなったそうです。

隅田川のほとりを歩きます。


牛島神社

すみだ郷土文化資料館に行きました。

この資料館には、戦争体験者自身が書いた絵があります。
これが、プロの絵ではない分、リアルで強烈にその体験が伝わってくるのです。
この絵や体験談も毎年、入れ替えられていて、毎回新しい事実をしります。
是非、皆さんも一度足を運んで下さい。

言問橋を渡り、浅草方面へ
当時この橋の上で約5000人が焼け死んだそうです。
橋の両端から人が押し寄せて、多くの人が動けなくなってしまったのだそうです。
そうしてる間に、両脇から火が凄い勢いで押し寄せてきて、持っていた荷物に火がついてしまい
あっという間に火は燃え移り、橋の上は火の海地獄と化したそうです。
想像を絶する悲劇。

言問橋を渡ったところに慰霊碑があります。

心からお祈りをしました。


輪になり皆で思いシェアしました。
「戦没者を供養するとは、犠牲になった方たちの悲劇を忘れずに、平和な未来へ繋げていくこと。戦争の事実を知ったら、戦争など二度とできるはずがありません。戦争のことを学ぶことは辛いことだけれども、それが平和に力強く繋がっています。戦争の事実を学ぶことは、平和を学ぶことです。今日は皆で絶望的に悲しいことを沢山学びましたが、このことをしっかりと平和につなげる力にしていきましょう!」



浅草寺

ここには空襲で黒焦げに焼けたけど、生き残っているイチョウの木があります。

皆でその生命力に驚いていました。


夜は戦争で焼け残った向島の長屋をギャラリーにした
「フルハウス」さんでパイプセレモニーをしました。

今日学んだことを、それぞれに活かし、平和な未来に繋げていくことを精霊に約束しました。
魂達と繋がって、力強く明日からも歩いていきます。どうか私達をお導き下さい、おまもりください。

私たちも
7月の選挙にむけて
4月22日に長崎を出発し、7月4日に東京に到着の
「レインボーウォーク」を企画中です。

今度の選挙は戦争を二度と起こさず、平和を保っていく為には
とても大切な機会です。
私達の一歩一歩が、戦争で犠牲になった方々の魂と共にありますように。

皆で輪になり、心を人にして祈り、
食を共にし、良い時間を分かちあっていく。
こんな幸せを伝えていきたいです。

これからもどうぞよろしくお願いします。

お陰様で、今回のウォークを無事に歩ききることが出来ました。
サポートして下さった皆さん
一緒に歩いてくれた皆、
イベントに参加してくれて思いを分かち合って皆
ホントにありがとうございます。

戦争のない、平和な未来へ繋げていきましょう!

ホーミタクエオヤシン

山田拝


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今回のウォークの日程詳細ページです。

是非、イベントやウォークにご参加下さい。

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7Generations Walk for Peace 2016 浜岡→東京の運営資金に是非ご協力下さい。どうぞよろしくお願いします。
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