<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 祈りと非暴力運動で問題の解決を! 私(7g山田)が思う、Standing Rock と共に立ち上がることの重要さ | main | 7Generations Walk for Peace 2017 詳細日程 >>
何故歩くのか?

何故歩くのか?

最初は好奇心でした。

人に7 Generations Walkはどんな活動なのですか?
と聞かれると「歩いています」と答えます。

すると「?」という反応も多いものです


実は私も最初、アメリカ横断のSacrede Run 2006に参加した時は「歩く」ことには余り興味はなかったのです。1999年にデニス師と知り合い、2003年からサンダンスなどに参加している間にネイティブの友人も沢山できて、皆も参加するし、なんとなく楽しそうで、なんとなく意味があるような気がして、好奇心で参加しました。

常識は通用しなかった。

でも、参加してみたら、自分が想像していたものとは全く違いました。
それまで僕が持っていた常識はあまり役に立たない感じ。
5日間くらい歩いたり走りつづけても、一回もシャワーも浴びれなかったり、夜も大きな体育館に皆で寝袋で雑魚寝したり、食事も大変だったり、泊まる所が決まってない日もあったりして、便利な生活に慣れていた自分にとっては結構大変な状況が続きました。
そこまでして、車ならば直ぐに到着するところを、皆で一生懸命歩いたり走ったりして、長い時間をかけて進んでいく。聖地を守る為とか、母なる地球を守る為とか、いろんな目的は伝えられていましたが、そんなことよりも、この不合理さになんとなく「フ〜ム?!」という日々を最初過ごしていました。

「満足」の方程式が崩れた

でも、一緒に歩いている経験者の方々はなんだか凄く生き生きしていて、親切だし、普通に助け合い、分かち合うし、とにかくこの状況の中でポジティブでなんだか皆で楽しく過ごしていたのは今も覚えています。「楽しい」とか「満足」するというのは、「状況が素晴らしいから、そのように感じる」という自分の中の方程式が崩れていくのを感じました。

で何があったか?

そこには、管理されたり、隔てられたりしていない、「ありのままそのままの道の上を歩む」という体験がありました。車や乗り物は確かに便利で安全だけれども、その便利さの中で、ガラスがあったり、壁があったりして、世界との間に隔たりを作って守られて移動していきます。守られているのはある意味とても有り難いことです。しかし、守られることによって、本来自然にある匂いだったり、大地を踏みしめる感覚だったり、爽やかな風の癒しだったり、やっと辿りつくまでの心の変化だったり、今までは本来生きるのにとても大切だった感覚まで締め出していたことに気付き、その本来の感覚を取戻し、恵みを実感する日々になっていきました。同時に肉体も鍛えられて強くなっていき、心も強くなり、だか、不合理なのに充実した毎日に驚いていました。そして、それまで抱えていた、都会生活の中でなんとなく満たされない気持ちが溶けていくのを感じていました。

母なる地球の上に魂が帰ってきた

そして、その瞬間がきました。
砂漠を初めて走った時のことです。
その日はおそらく150キロくらい皆で走ったと思います。イーグルスタッフと言う聖なるバトンのようなものを皆でリレーして進んでいきます。その途中で10マイル(約16キロ)走りました。
僕の順番が来たのはカリフォルニアのジョシュアツリー公園近くの砂漠でした。

待っている時に「ん〜砂漠か〜」と思い不安になっていると、仲間が「大丈夫!!道はまっすぐでこれしかないから迷わず走って来い」と言い、500mlのペットボトルの水をくれました。
「ん〜そこが不安なのではない」と思いながら、微妙に励ませられつつも緊張して順番を待っていました。
前のランナーからバトンを受け継ぎ、走り出して直ぐに案の上喉が渇き過ぎて、最初に渡された500ミリリットルの水はあっという間に飲み干してしまいました。

仲間は16キロ先に車で先回りして僕を待っているので、とにかく走るしかない。
もちろん自動販売機も店もなく、

あるのは大地と空とまっすぐに続く道だけ。

ま〜清々して気分は良かったです。
そして、その時に感じました。いつもは都会のアスファルトに覆われた大地を見ていたけど、ホントの大地はこうなのだな!いつもはビルに囲まれた空をみていたけれど、さまたげのない空はなんて雄大なのだろう!もちろん初めて走る砂漠の中の道でしたが、なんだか「帰ってきた感が満載でした」

なんというのでしょうか?ランニングハイ!?というか、かなり厳しくもありましたが、凄く力に溢れて走りきることができました。そしてゴールすると仲間達が讃えてくれました。皆で歌も歌いました。
そしてその時のリーダーがまた水をくれました。500mlのペットボトルです。
僕の渇ききった姿を見てか、その時に水を僕に手渡しながら長老は言いました


「This is your Life!!!!」

「お〜〜〜!」と思いながら、空を見ながら皆に讃えられながら、一気にその水を飲み干しました。

その水は「ホントに美味しかった!!!!」

乾いた体に水が染み渡っていくのを感じました。
そして同時に僕の心にも水が染み渡っていきました。


今まで渇ききっていたけど、とても大切だった心のある部分が癒されていくのを感じました。それまでの人生でなんだかどうしようもなかった僕の心が!ホントに満たされた気持ち。

いままで物が沢山あってもなんだか満たされなかった自分の心が「一杯の水で満たされた」のです。
もちろん今客観的に振り返れば、仲間や長老の愛、ネイティブの祈りや智慧、大地の力がかなりサポートしてくれたことは間違いないのですが、とにかく全身全霊で満たされてしまいました。まったく予期せぬ出来事。

なんなんだこの感覚は?

自分を満たす為にいろいろなものを得ようと努力しつづけていた自分がなんだか幼く思えました。

そして、「ここにあったのだ!」と「いつもあったのだ!」と「水は手元ににあったのだ!」
大切だったのは飲み方!在り方!心の持ちよう!だったことに気付きました。


自分の魂は救われ、開放されて、自由になっていくのを感じました。
あ〜〜〜〜あの開放感と一体感はどんな言葉でも表現することができません。
それは経験しなければ分からない充足感です。

ここに私の魂を救ってくれた経験という鍵がありました。

 

何かを得るための鍵ではなく、条件を手放して、こだわりを手放して、開放することによって
ダイレクトにあの恵みが心に入ってくる扉を開く鍵です。

この鍵は、私の心を救うだけでなく、人の心や現代社会の問題の原因を救い、7世代先まで持続可能な社会実現への鍵にもなるのだと直感的に思いました。

 

現代の世界的な社会問題、環境問題の原因は先進国と言われている国に住むある種の人達の過剰な消費にあると思います。それは満たされることのない理想と欲望を振り回し、そのことを是とする種の人達の消費と独占欲です。この種の人達は、私自身もそうでしたが、沢山すでにもっているのに、もっと欲しがり、その富や食料を独占しようとします。独占してもなお満たされず、さらに搾取する。他人からも自然からも。そして、世界を危機に直面させているのです。いろんな意味で。

現代社会問題の根本原因は消費大国に住む人々の満たされない心にあります。
しかも、その心は、その社会がもっているセオリーではどうしても満たすことができないほど、迷路に迷いこんで、わけが分からなくなってしまっているではありませんか?!

だからこの鍵を、この感覚をさらに自身に定着させて、もっと理解して、シェアしたいと思いました。

それはまるでとても美味しい料理を皆にお勧めしたい感覚に似ていました。

そして、Sacred Run から帰ってきて、日本で自分の修行の為に先ずは一人で歩くことにしました。
東京から京都まで!旧東海道、約500キロを一人で歩く!荷物を全部背負って一人で歩き出しました。
多くの人が僕を止めました。出来るわけがない。無理に決まっていると心配してくれました。
ある意味、その心配は当たっていました。いままで何回もウォークをしてきましたが、一番苦労したのが、この2006年に一人で東京から京都まで旧東海道を歩いた時でした。


Sacred Run は多くの人のサポートによって助けられ、導かれて歩ききることができましたが、一人はまったく違いました。ホントに何の経験もないまま、今から思うと下調べも準備も出来ておらず、無謀な挑戦でした。今の僕が、あの時の僕を見ていたら、間違えなく止めると思います。それでは苦労するよ〜と教えたくなりそうです。確かに苦労しました。今ならしなくても良い苦労を。酷く苦労しました。例えば必要のない荷物を沢山もって肩や腰が非常に痛かったり、靴も大事だけど靴下も凄く大事だと言うことが分かっておらず、沢山まめが足にできたり、道にすごく迷ったり、でもある意味、あの苦労は良かったのかもしれません。多くのことを学びました。自分の甘さも、自然の厳しさも、人の優しさも身に染みて実感したウォークでした。そして、どんな苦難も乗り越えて必ずゴールまで行く、強い意志と冷静な判断力を得られたのも良かったです。

2006年のSacred Runのあの感動を、問題解決の鍵としてシェアする為には、導かれて助けられて体験させてもらう立場から、自分でウォークを計画して、いろいろな状況を加味して、変更したり、あるもので代用したり、時には交渉したり、臨機応変に現実的にゴールまで無事に到着することを自分自身の責任ですることが必要でした。その為にはまだまだ多くのことを学ばなければなりませんでした。

2007年は旧東山道を歩いて東京から京都まで伝教大師の歩いた道を辿るウォークをしました。前年の経験もあり、しっかり準備して万端な感じで歩きだしました。この時はお寺の住職時代にしていた瞑想教室の生徒さんも一人ついて来て、二人で歩きました。彼は大学院生で元陸上部で体力に自信があったようでしたが、やっぱり凄く苦労していました。まるで前年の僕を見ているようだったのを覚えています。
そして、その2007年のウォークの時は、自分自身には余裕があり、彼をサポートしながら無事に京都まで辿り着きました。途中で不思議な雲を見たり、ゴールした瞬間、山の頂上から天に向かって一本の雲が伸びていたり、不思議に、自分たちの祈りと天地が共鳴しだしたのもこの頃でした。それは、素晴らしい感動をともない、一緒に歩いた青年の人生にも良い影響を与えてくれたようでした。

そして、2007年の後半は、2008年のアメリカ横断のロンゲストウォーク2の準備を手伝うことになり、私は日本のコーディネイターになりました。そして、多くの若者とロンゲストウォーク2の架け橋になりました。私もウォークに参加し素晴らしい経験を沢山しました。ウォーク中に何度かセレモニーやスエットロッジにも参加し、多くのことを学びました。
そして、ある日、デニス師と20人くらいの参加者と一緒にスエットロッジに入った時のことでした。デニス師にお告げのようなメッセージが来たらしく、「来年はこのウォークのスピリットを日本で生かしていく為に、ヤマダがリーダーになって日本でウォークをして下さい。日本にこの祈りが必要になるでしょう」と伝えられました。
そして、その時に一緒にいた日本人の参加者と一緒に2009年に日本で7 Generations Walk を立ち上げました。


7世代先の子供達に幸せを届けるのがウォークの名前のコンセプトでした。そして2009年のウォークは実際的に大阪の箕面から東京の高尾まで約600キロのコースを歩き、その時にトンネルを掘られそうになっていた、聖地高尾山の自然を守ろう!というのがメインコンセプトでした。
ロンゲストウォーク2でも聖地を守ろうというのが、メインコンセプトのひとつでしたので、その祈りを日本でも活かしていくのが目的でした。

高尾山関係でも多くの人が賛同してくれたり協力してくれたり、ホントに大勢の人が参加してくれました。道のりで共感してくれたり、お世話して下さる人達と沢山の出会いもありました。今もその繋がりは大きな財産になっています。
しかし、実際上の運営はこの時は凄く大変でした。準備も全ての行程において上手くいったわけではなく、受け入れ側との交渉もちぐはぐだったり、不調和を大分生んだこともあり、皆にも大分迷惑をかけました。初めてのウォークは凄く大変だったのを覚えています。

でも2009年のウォークの間は随分沢山の虹を見ました。

 

いや見せてくれました。多分今までのウォークの中で一番、虹の頻度が高かったのもこのウォークの時だったと思います。
天地がサポートしてくれた感が満載だったウォークでしたが、
高尾にゴールした瞬間には明らかな奇跡的な祝福がまっていました。

ゴール前夜は嵐、泊まっていたテントの下はウォーターベットのようになってしまいました。ゴール当日も朝は大雨、午後は小雨の中を歩きゴールまで皆で辿り着きました。そして高尾のゴールで賛同者の皆さんが用意してくれていた虹色のゴールテープを皆で横切った瞬間にその奇跡は起こりました。曇っていた雲が奇跡のようにかっと開いて、まさにゴールのその瞬間に太陽がスポットライトのように私達をパッと照らしたのでした。その奇跡は、その時に居合わせた皆と感動を深く分かち合うには充分なほど、明らかに天地と人の祈りが繋がっていることを示す体験でした。参加してくれた皆とは素晴らし体験をシェアできて、時に人生を左右するような、良い影響を与え合えたようなウォークになりました。

でも、それは証明することはできない。因果関係も分からない。そこに居合わせた人以外に説明しても、いまひとつ伝わらないことも事実でした。でもただ、それはそうと参加した皆は頷ける体験がそこにあっただけです。
実際にはウォーク参加者以外にはその真意は伝わらなかったことは悲しい現実でした。しかし、今ならそれはそうだろう!と思います。私が得てシェアしたかった鍵は現代社会のセオリーや常識とは違うものなのですから、それを言葉などで理論的に説明しようとしても上手くいくわけがない。
なかなかのジレンマをその時に味わったのでした。


天地と私たちは繋がっている。

大地や水や空気の恵みで生きてる私たちは物質的な観点からも、理論的に考えても疑いようのない事実です。

しかし、私たちと天地が一つである!というのはどうでしょうか?
それは、謙虚に祈ることによって、心が開いていれば、感動的に体験できるものです。
そこにネイティブの教えの大切な部分があると思いますし、
それを心底実感できることは、ある意味深い安心を与えてくれ、心を満たしてくれるものです。
そして、同時に天地と一つであるほど深く繋がっていることを実感すれば、
山や自然に対する畏敬の念が溢れてきて、やすやすと山を開発したり、トンネルを掘ったり、パイプラインを通したり、ウランを掘ったり出来なくなります。

ネイティブの教えは、私達と自然・命そものを繋げるもの。
そして仏教は自然という現象の根源が一つであり、私達は本来一つという「ワンネス」を明らかにするもの。

この二つの関係は「本地垂迹」の真意であると思っています。
しかし、現代の人々は自然と壁で隔てられ、その息苦しさの中で光を見失っています。
現代社会の精神文化の常識は余りにも、命の本質から遠いものになってしまいました。

ですから、天地と私達がひとつであることを語りだすと(語ってどうなるということでもないのですが)現代社会からは極端だということになって、非合理的に思われて受け入れられなくなります。だから影響が与えられなくなってしまう。人と山は別だと言う観点しかもてない現代日本社会の常識の上で高尾山にもトンネルは結局掘られてしまいました。

しかし、高尾山にトンネルを掘って、だれが心底満たされたでしょうか?それは、少しでも早くとか、そういう欲望を満たしたかもしれないけれども。山や自然の痛みは感じもせず、便利になったと言って、さらなる便利を目指している。そんな現代社会の常識。いまではリニアモーターカーを通そうとして、さらなる便利と自然破壊を推進しています。満たされていないから。もっと便利になりたいからです。

大地と自分が一つであることを合理的に説明することは難かしい。
それは非合理だからです。自分と大地は、物質的に見て確かに別のものです。

しかし、私が満たされたのは現代社会の合理的なことではまったくなかった。
目指したゴールにあったわけでもなかった。
今ここと深く繋がった瞬間にあった満足感と喜び。予定調和という人間の小さなマインドを満足させて喜ぶような、そんな喜びで人は満たされることはないから、現代社会は物が充分にあっても、欲望と不満足に溢れていることを覚りました。

非合理と合理を如何に結びつけるか?
色即是空、空即是色の中道の世界。
それは、伝統的に人類が取り組んできた問題に対しての解決策。
その解決策の到達点的な境涯とも言えます。

最近、私の仏教のお師匠から聞いた言葉では
「いまは我々が釈迦を拝む時代ではない。我々が釈迦を生きる時代なのだ」
とも言われています。そうしなければ、戦争や環境破壊の問題の根源を解決することにはならないと感じています。

私はその境涯を知る為に、なんの難しいこともいらないことをウォークで体験させてもらいました。
「ただ歩けばいい」
というのが一つの答えでした。
「ただ、ありのままそのままの道を歩けばいい」
そこには、大地も水も太陽も空気もあって
私たちのDNAもまだまだ生きています。
人が自然と一体で満たされて生きていた時のことを思い出すことはまだまだ可能です。


自分を開くことはいつでもできます。
そうしたら、今ここが常に奇跡であることに気付くことができます。
2006年の砂漠での一杯の水の奇跡の気付き。

「ここにあったのだ!」と「いつもあったのだ!」と「水は手元ににあったのだ!」
大切なのは飲み方!在り方!心の持ちよう!だったことに気付きました。

同じことを今では、ただ歩くことによって、瞑想によって、祈りによって感じることが出来ます。
それは仏教やネイティブの教えを深く知れたからでもあります。
はじめはイベント的に非現実的な状況でそのことを体験することができましたが、
その体験に導かれて、今はその体験を日常にすることができています。

「歩く」というのは「走る」と違って、
日常的なことというのも気に入っている所です。

日常の中に奇跡がある。
その奇跡を目覚めさせ、分かち合う為のものが7G Walkです。


さすがにウォーク中は大いなるものが見方してくれて、あからさまな奇跡を何度も見せてくれました。
7重の虹を見せて下さった時もありますし、2012年の富士山のウォークのファイナルも奇跡でした。
2014年のチェジュウォークの時も鳳凰のような雲が現れ、2015年の広島〜長崎ウォークのゴールでも私たちの頭上にだけ虹が現れたり、その例は数数えきれません。しかも毎回全員が、この奇跡は私たちの祈りと繋がっていると感じる完璧なタイミングで訪れるのです。
それは私たちの心を開かすお計らいとしか言いようがなく、自分たちで意図して、そのような奇跡を起こすことは出来ません。しかし、奇跡を呼ぶようなあり方は心得ています。その感覚はしっている。その感覚を分かち合って、日常をその感覚の上で共に生きていきたいのです。そこに心を満たし、問題を解決していく鍵があります。

予定調和ではなく、常にある調和。

そして、その常にある調和が開く奇跡の扉と、日常に続く充足感。それは日常の中にあるべきで、その日常にかなり近い位置で気付きの機会を与えてくれるのがウォークと感じています。

しかも、これは非合理と合理を結びつける活動。最終的には言葉で分かち合えないものを分かち合おうとしています。だから、言葉ももちろん使うけれども、非合理なあり方を体現しつつ、その中にある合理的な不満足を満足にする鍵をシェアし続ける為に、不合理に歩き続けているのです。ウォークは私にとって非合理の合理です。

自然の法則によって循環する世界と、無限なる恵みの源。

その上に私たちの命や日常生活は成り立っています。本来の大地、水、太陽、風、宇宙。その恵みのままの姿を観じたら私たちは心から感動できるDNAを今も持ち合わせています。そして、その恵みが大いなるものの計らいの中で一つに繋がっていることも体験できます。

その言葉以上の体験を、分かち合い、日本そして、世界にこの問題解決の鍵を届けるべく、私は歩き続けます。仏教とネイティブの教えをバックグラウンドに持ちつつ、持続的に安定的に、そのあり方を表し続けていけたらと思っています。

これが私なりの理解を分かりやすく説明しようとトライした
7 Generations walk の
「歩いています」の意味です。


ホントの意味は参加していただかないと分からないかしれません。

全てを語ることはできませんが、今回は長く書いてしまいました。
読んでいただき、ありがとうございます。

でも、私たちの活動などなくても、この事に自然に気付いている、素晴らしい方々に沢山出会いました。その、素晴らしき方々、堀澤先生、デニスバンクス師、ネイティブの長老や兄弟姉妹達、仲間達に最大限の尊敬と感謝を表明し、連帯を願いたいと思います。
私は全ての繋がりのなかで生かされています。

7Gウォークの祈りは仏様、サンダンス、ネイティブに繋がっています。
この理解と繋がりは、ネイティブによる所が大きく、私自身と私の仏教の魂を目覚めさせてくれたのはネイティブの祈りです。

きっと皆さんの日常も、このようなネイティブのフィルターを通すことによって、より輝きが増していくと思うのです。

 

いま、スタンディングロックで戦っている、真のスピリチュアルウォーリアー、戦士達に尊敬と連帯を表明します。

Stand with Standing Rock !!!!
大地・水・天・人、あらゆる生命に宿る魂が目覚め
相互理解が命の水を守り、世界を平和にしていくことを願って。


ホーミタクエオヤシン

山田拝

 

★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★

お問い合わせ

7 Generations Walk 代表 山田圓尚
mail 7gwalk@gmail.com
web http://www.7gwalk.org/

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

7Generations Walkの運営資金に是非ご協力下さい。
どうぞよろしくお願いします。
資金協力呼びかけページです。
http://blog.7gwalk.org/?eid=1262412
 

 

COMMENT