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京都大原三千院で堀澤祖門先生のお話しを聞く会 Vol3 報告

京都大原三千院で堀澤祖門先生のお話しを聞く会 Vol3 報告



2018年4月2日
当日の京都は桜も満開で快晴の穏やかな日でした。
晴れ晴れとした気分でお話し会に臨むことができ素晴らしい会になりました。
堀澤先生、参加者の皆さまありがとうございました。先生のお話しの内容を山田なりにまとめてシェアしたいと思います。よろしくお願いします。

 

次回のお話し会は10月15日(月曜日)です。

是非ご参加下さい。

https://www.facebook.com/events/1499614776833764/

 



お話しのテーマ「枠を破る」

枠とは何か?
枠とは相対関係
自己保存の本能もそれを助長する

お釈迦様在世当時、コーサラ国の王様は大きな権力を持っていました。広大な領地を眺めながら「誰を一番愛しているか?」考えました。その結果「自分を一番愛している」という結論に達しました。妃にも同じ質問をするとやはり「自分を一番愛している」という答えでした。二人とも自分たちの答えに「これでいいのか?」という疑問を持ち、釈迦に質問しました。そうすると釈迦は「その通りだ。その答えは正しい。しかし、大王よ、この国の民や全ての者が同じように考えていることを覚えておくべきだ」と助言しました。

オリンピックなどの競技も基本に相対関係がある。
ある有名な選手が金メダルだけに意味があり、他のものには価値はないと言っていたが、なんだかそれはちょっと聞いていて悲しかった。本当に金以外には意味がないのか?ナンバーワン志向には疑問があります。

二元相対的な考えしかないと思っていると、他を排除する思考に陥りやすく、争いや戦争の原因にもなっている。人は二元的な考えから逃れることはできず、争うしかないのか?人間とは何なのか?そういう疑問をもったお釈迦様が出家して修行を始めました。

四門出遊
お釈迦様の出家のエピソードがあります。城に住んでいたお釈迦様が東の門から出て国を見に行くと老人に出会い、南の門から出ていくと病人に出会い、西の門から出て行くと死人に出会いました。どの人たちにもその苦しみから逃れる方法がないようで絶望感を持ちました。しかし、北の門から出た時に修行者に出会いました。彼らの目はこのような世間の中にあってもキラキラしていました。お釈迦様は、そこにはきっと何かある!と感じ、お城を捨てて出家し苦行者になりました。

精神性に救を求める
インドでは苦行者が讃えられています。人が肉体と精神のバランスで出来ているとすると、肉体のバランスを小さくしていくと、精神性が大きくなるという感覚が根底にあるように思います。釈迦も苦行に没頭しました。6年間の激烈な苦行をしましたが悟ることはできなかった。死の直前まで苦行したが正覚が得られない。何故か?とお釈迦様は考えました。その理由の可能性としてー分の修行が充分でないから。苦行という方法が間違っているから。という2つの答えの選択肢を思い、深く考えた結果、,砲弔い討麓分は苦行者の中でも一番厳しく修行をしてきたから、苦行が充分でないという事はない。よって△龍豺圓箸いκ法が間違っているということであろう、という答えにたどり着き、苦行をやめました。

釈迦の覚り
そして、尼連禅河という川の前の菩提樹の木の下に座り、「正覚を得ずんば 再びこの座を立たず」と言って座り、その結果7日間の座禅の末、夜明けの明星と共に目覚め、悟りました。ブッダとは目覚めた人という意味です。枠を破った人と言っても良いと思います。経典にはそのことが書かれていますが、経典はあくまでも言葉での伝承ですので、体験そのものを伝えるということは経典ではできません。では、どうして釈迦は悟ったと言えるのか?それは最初の疑問である生老病死という課題を解決したか?どうか?で分かると思います。

釈迦は生老病死の課題を解決したから悟ったと言えます。
生の枠や全ての枠を破ったとも言えるのです。


例えば
インドの夏はとても暑く、寿命は短く、50歳くらいが寿命でしたが、お釈迦さまは80歳まで長生きしました。病気をし、疲れ、死を目の前に横になった時、従者のアーナンダは「まだ我々は迷っている。お導きがまだまだ必要なので死なないで欲しい」と言って泣きました。それを見た釈迦は「世は無常である」と言って、死は目の前にありますが、それを受け入れ悠々としていました。死を恐怖し苦しむのは、死という観念の枠にとらわれているからで、そのとらわれから抜け出せばよいことを釈迦は示したのです。
そして、釈迦は今までお世話をしてくれた事にたいして、アーナンダに感謝の言葉を伝えました。

観念に囚われるな
病気をした人は、もちろん身体が痛く、身体的に苦しみます。そして、それに抵抗するともっと苦しみ迷うことになります。思い悩む。しかし、覚った人は思い悩むことがありません。観念の枠を持たなくてすむからです。悠々と年を取ることもできます。釈迦も病気をし肉体的には苦しみました。しかし、苦しむ時は、ただ苦しむだけでした。そして、死ぬときはただ死ぬ。頭で考えても分からないかもしれませんが、「枠を破る」と言ったら分かりやすいかもしれないと思い、この言葉を使っています。そして、男と女という枠を捨てる。年齢という枠も捨てる。覚ったあとは、ある意味人は動物のようになるともいえます。悠々と年をとり、悠々と死んでいく。そうすることで思い悩むことがなくなるのです。


空のお話し

「色即是空 空即是色」と言います。
色は目に見えるもの全てという意味です。目でとらえられるものは色。耳は声、鼻は香、舌は味、身は触、意は法という風に五根(目耳鼻舌身意)の感覚と五境(色声香味触法)を対応させて現象を捉えます。色(しき)を現象の総称として「色即是空」の色を解釈します。色は二元相対で、空は一元絶対の世界という風に考えます。

出家者の希望
私達は現象の世界で生きています。しかし、私達はいつか死ななくてはなりません。ですから、私達にはこの現象の世界しかないと思うと救いがなくなってしまいます。平和をとなえても、結局別々なのであれば、真の平和はやってきません。現象は変わりゆくものであり、現象界の現実だけでは、生老病死の苦しみから逃れることはできないのです。そこで、世間で解決できない問題を出世間で解決しようとしたのが出家者達です。そして、色即是空を体験した方々は「そうだったのか!」と目覚め、現象界の苦しみにとらわれなくなったのでした。このように色を空にするのが修行であり、座禅などもその方法のひとつです。

ワンネス
そのような体験を通して、人が空になったら境がなくなってしまいます。あなたの空とか私の空という境もなくなり、ただ一つの空があるということになります。一元絶対の絶対は漢語読みでいくと「対を絶する」という風に読み、「対立するものを絶する」と捉えます。対立がなくなると一つになり、そして、もともと一つしかなかったのだということにも気づくのです。

執着を手放す
しかし、このようなことを悟ったとしても、それは悟りのほんの入り口を垣間見たにすぎない場合も多いと言われています。「正師を得ざれば学ばざるに如かず」. これは、正しい師匠(先生)のもとでなければ、学んでいないも同然だという意味の道元禅師の言葉です。
実際に覚った後でも、色々な場面でそのことを活かしていかなければなりません。例えば、お金に執着しないということです。お金をもらったとして、それは仏様の物を一時預かっているだけであると私は思っています。地位や名誉に執着してもいけません。たとえ、自分を馬鹿にされても気にしてはいけません。自分に執着してもいけないからです。空になった喜びにすがるのも良くないですし、好き勝手になんでもするというのもいけません。それは、色即是空のあとには空即是色ということがあるからです。

実有と空と仮有
空を知る前の私達は「実有(じつう)」の世界に生きています。そして、そこから「空」を体験し、空の状態から、またこの現象界に戻って来るということになるわけです。そして、空を体験したあとの「有」を「仮有(けう」と読んでいます。この仮有は色であって空であり、空であって色であるという意味を持ち合わせます。この仮有を生きている人は権力、お金、自分自身などへの執着を全て捨ててしまいます。

おろかなものは自分の子供だ自分の財産だと言って思い悩みます。ところが自分自身がすでに自分の物ではないではないことに気づくべきです。それなのに、なぜ、自分の子供を自分のものといえるのでしょうか?自分のものでないものを、自分のものと思い込み、思い悩むのは愚かなことですね。

妙有なる生き方
仮有な存在としての本当の仕事があります。仮有としての釈迦は45年諸国を巡り法を説きました。このような存在を「妙有」と呼んでいます。

実有の世界から空に飛び込み、そこから出て、また妙有の人間となることをお釈迦様は体現しました。
覚る前は人は人である。修行すると人は人でなくなるが、もっと修行をすると人は人にもどる。普通なのが良いのです。

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魚山園さんで食事をいただいた後の質問タイム中
堀澤先生のお応えで山田が特に印象に残ったお言葉



質問 修行中や覚ったあとの、良い心構えを教えて下さい
お応え 修行中は、まだまだと思ってもいけないが、終わったとも思ってはいけない。



質問 目標を達成するにはどうすれば良いですか?
お応え 目標ばかりに気を取られて、今の自分を見失ってはいけない。泥仏の例えにもあるように、私達は本来仏です。凡夫は本来仏であるのに、仏を求めるからおかしなことになるのです。



質問 皆が仏であるとしたら、業というものをどうとらえたらよいですか?

お応え 禅の公案で百丈禅師の不昧因果(ふまいいんが)というお話しがあります。これは昔、「覚った後も因縁や業の制約を受けるか?」という質問に「不落因果(制約をうけない)」と応えた僧が、野狐になってしまって、500回生まれ変わってもこの野狐の姿から脱することができなくなってしまいました。百丈禅師が説法していると、いつも見慣れぬ老人が来るので、その老人に「あたなは何者か?」と問うと実は生まれ変わった野狐だと答え、その野狐が私を救って欲しいと言い、同じ質問を百丈禅師にしました。そうすると禅師は「不昧因果(因果を昧(くら)まさず。因果は因果として明らかに知っておくことをごまかさない)」と応え、その応えを聞いた野狐は即座に悟り、その野狐の姿から抜け出すことができたというお話しがあります。
私達は自分の行いをこのように見て、つねに正さなくてはいけないのです。
(不昧因果参考HP http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/071101.html

 

 

今回も皆で深い学びの時間が持てて心から感謝しています。

また継続的にこのような時間を持てたら有り難いです。

 

次回のお話し会は10月15日(月曜日)です。

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山田拝

 

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