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精神性と信仰の必要性と、宗教との違いと関係

 

我らが師、デニス・バンクス師は言いました。

 

精神的であるということは宗教的であることとはちがう。

 

精神性とは人間と人間が、人間と自然が、人間と母なる地球が、ひとつの環(サークル)となって互いの生命を敬いつつ生きることに他ならない。インディアンは環の力を信じている。

サークルは地上に生きる全ての物が、互いに深くつながりあって生命を営んでいることの象徴である。それはどこまでも生を肯定する。だから私たちは、この生命のつながりの環が切れることのないように祈りを捧げるのだ。

宗教の教義にとらわれるのではなく、この生命の環の一部となって、他者を敬い、鳥を、木を、大地を敬うことが、精神性(スピリチュアリティー)の意味するところである。

 

デニスバンクス 森田ゆり共著「聖なる魂」より

 

今回は精神性と信仰と宗教の関係性と違いについて考えてみました。

 

 

昨年の2019年、7gウォークの10周年記念ウォークで長崎にゴールし、聖地で祈りを捧げた時に絶妙なタイミングで虹がでて、皆がとても盛り上がりました。天地とその間にいる私達が確実に繋がっていることを実感できる凄くパワフルな体験でした。それを見ていた子供が「これは宗教だ」と言い出し、お母さんに「宗教に入らないで」と不安そうに訴えていました。

それを聞いた一同は「これは宗教ではない」ということで苦笑したのですが、子供にも分かるように明快に精神性と信仰と宗教の違いについて説明できたか?というと難しいものでした。私も少し時間をかけて、ゆっくり説明することは出来ましたが、そんな時間もなく、シンプルで明快なシェアが出来ない自分に未熟さを感じたものでした(-_-;)

 

このような問題を含む場面は今の日本では多く見受けられると思います。

 

精神性と信仰と宗教は密接に全てが関係しつつも、別のものです。

この三つそれぞれの違いと特徴を理解することは、生活の基礎知識として必要なことだと思います。自分なりに深く考え直すという意味も込めて、このブログを書いてみたいと思います。

 

 

〇精神性とは、デニス師がおっしゃったように生命の理にそった生き方を意味するものだと思います。どう生きるか?

 

△信仰は個々人の心や意識を如何にその命の神秘へ向けるか?という問いに答えるものだと思っています。そして、個々人の体験をもって確認され深まっていくものです。

 

生命の理は神秘です。心臓の動かし方を知らないのに、心臓は動物が生きている間、一定の速度で動き続けます。そして止まったら生命は死んでします。ですが、だれも心臓の動かし方を知らない。このことからも生命が神秘と言える理の上に成り立っていることが分かります。そして、その生命の神秘は私の中にあり、全ての命の中にもあります。その命達が全て調和して存在しているのが世界です。

 

命の神秘は常に自分や自然や宇宙に溢れているのですが深遠で表現するのが難しいが故に、その神秘に繋がる為の道しるべや、よりしろが必要になってきます。それが、太陽であったり、母なる地球であったり、神であったり、仏であったり、ご神木だったり、瀧であったり、色々です。個々人がその対象を選び、拝み、その向こう側にある深遠な神秘と繋がろうと意図して行うのが信仰です。ですから、信仰は一人でも出来るものです。なので、信仰に宗教は必要でないとも言えます。

 

 

しかし、命の神秘があまりにも深遠なので、同じことを志すもの同士が助け合ったら、より素晴らしい境地にたどり着ける場合があります。その助け合う仲間達が体験をシェアし、やがてそれが教義となります。そこから実践のガイドラインができ、戒律が出来たり、グループをまとめる為のルールが出来たりして組織ができます。その組織を宗教と言います。

 

 

□宗教は集団・団体が組織で個々人の信仰を助け合う為のものです。

ですから、個人の信仰がなければ宗教には意味がありません。

 

しかし、現在は個人の信仰は無くても、まわりの皆がそうだからとか、体裁だけとか、権威とか、上下関係や、利害関係で宗教が成り立っている場合がありますが、それは本来の宗教という定義にはあてはまらない団体です。いってみれば偽宗教です。そして、信仰のない人は容易にそのような偽宗教に騙され、コントロールされてしまいます。宗教がなければ自分の信仰がゆらいだり、無かったりするのであれば、それは本末転倒になるで、その時は少し立ち止まって、今ここの自分と自分の信仰を見直してみる必要があるかもしれません。

 

ですから、信仰を個々人皆が持っていて、助け合っている宗教は宗教と言えると思います。

しかし、信仰のない人が集まっていたり、信仰のない事を良しとする集まりは、本来の意味からは宗教とはいわず、仲良しグループとか、仲良しサークルという名前の方が適切なのかもしれません。

 

 

例えて言うなら、

「私は私一人でも祈るが、皆で祈ればさらにその祈りが深まる」という人の集まりが、教義を共有し、組織だった団体として認知されているのが宗教です。

 

「私は私ひとりでも祈るが、皆で祈ればさらに祈りが深まる」という人の集まりが、祈る対象は共有しているけど、組織は形成していない場合は、信仰者の集まりということになります。

 

「信仰の対象は共有していないけれども、命の理にそって、調和のうちに集まっている」人達の集団を、精神性を共有している仲間達というふうに言えるのだと思います。この場合は宗教や信仰の違いを越えて皆で集まることが出来るのです。

 

 

もうちょっと現実的な例えになると

宗教団体から資格を与えられている聖職者が、その資格を剥奪された瞬間、聖職者でなくなってしまう宗教は偽宗教です。

僧衣を脱いでしまったら、僧でなく、有り難くもなくなってしまう人を認める団体は宗教ではありません。宗教団体からの指示がなければ何も出来ない人を良しとする宗教も偽宗教です。

 

宗教とはあくまで個人の信仰を助け合う為の団体です。

しかし、宗教が大きくなり過ぎたり、権威が強くなる過ぎると、個人の信仰がないがしろにされたり、見えなくなってしまう場合もあるようです。暴走してしまう偽宗教はこのような状況になっていたことが分かります。もしも、宗教を組織するのであれば、宗教組織自体が常に組織内部を観察し、個々人の信仰を守り、偽宗教の脱線と暴走を防ぐ自浄作用が常に必要です。もしも、それができるのであれば、信仰の弱い部分や、危険な部分を補える力となるのも宗教団体の作用となります。宗教と信仰は密接に関わっているのです。

 

 

 

また、個人が信仰していると思っている場合でも、その信仰に陶酔してしまっている場合は、それは信仰とは言わず、妄想に執着してしまっている危険な状態であると思います。信仰には組織はなくても、お手本になる人や、先生や先達がいるのが好ましいと思います。妄想から目を覚まし、命の神秘に目を向け直してくれるのが先生です。

 

ネイティブの教えでは、「全ては輪の内に一つなので、誰かが誰かより上ということも、下ということもない。先生は輪の一部で先生という役を担っているだけであり、生徒は生徒という役を担っているだけである。リーダーはリーダーの役をしていて、料理人は料理人の役を。その役にも上や下はなく、お互いを敬いつつ全ては輪の内に一つであるのが生命の姿である」と言います。ですから、ネイティブの信仰は個人個人がそれぞれの役を自覚し、それぞれの責任で、ただ輪になることで成り立っているので、わざわざ組織を作る必要がないのです。ですので、ネイティブは信仰者の集まりであって、宗教ではないと言えます。

 

 

おさらいすると

 

精神性は生命の理にそった生き方

 

信仰とは個人のものであり、全ての命の中にある神秘に目を向ける為のもの

 

宗教はその信仰を助け合う組織的団体

信仰のない宗教は偽宗教

宗教の権威が信仰を見えなくしてしまうこともある

同時に信仰の落とし穴におちないように助け合えるのも宗教

 

精神的な活動は、宗教や信仰を越えて一つになれる

 

 

そう考えると

generations walk の活動は信仰に支えられた

Spiritual Movement・精神活動です。

信仰の力をかりて、精神性を分かち合うこともあります。

組織というよりは輪を大切にしていて、上下関係もなく、あえて組織を作っていませんので、宗教ではないと言えます。

 

 

偽宗教が現代日本社会に与えて来た、歴史的なトラウマのようなものがあり、「宗教」という言葉に対してアレルギーのようなものが存在することも理解しています。

 

しかし、本当の意味での「宗教」とは何なのか?ということを理解し

自分自身の信仰と精神性を高めていくことが必要なのだと思います。

 

そのことが偽宗教に騙されず、陥らない力になるでしょう。

 

generations walk の活動には、宗教的トラウマがある日本現代社会の中において、宗教ではない信仰と精神性を分かち合うという意図があります。社会全体の精神的なバランスを取っていく力の一端を担いたいという願いもあります。

 

 

宗教は信仰を助けるためのものなので、信仰が助けがいらないほど確かで強いものであれば宗教はいらなくなります。

 

信仰は命の神秘を意識するための道標なので、命の神秘をダイレクトに意識し続けることができるのであれば、信仰という形もいらなくなり、方法は自由自在に変化して、精神性という生き方だけが残るのかもしれません。それは無と有の究極的な融合であり、そんな生き方が出来たらどんなに素晴らしいかなと思います。デニス師も信仰はもっていたけど、枠に収まらない、本当の精神的なリーダーだったと思います。

 

本当に極まった精神性を持った人、信仰者、宗教者はそんな意味で枠にこだわらず、収まっていないので、違いをこえて融合し仲良くしている姿を何度か目にしたことがあります。

 

 

もしも、精神性や信仰がない場合は、自分自身の中にある命の神秘を意識する為に、自分自身を知る為に、精神性や信仰をみつけることをお勧めします。

 

そして、精神性や信仰を持っている人と交流しあって相乗効果で、精神性を高めあっていけたらと思います。その為に7gの活動を続けていきたいです。よろしくお願いします<(_ _)>

 

精神性が高まっていくことに人生の価値があるのだと感じています。

そして、個々人の精神性が高まることが、本当の意味で社会が命の理にそった平和で調和にあふれたものになっていく為に必要なのでしょう。

 

世界が平和で、皆で子供達を守っていけますように。

 

いつもありがとうございます。

 

ニカニガナ

 

山田拝

 

 

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