11月7日8日 デニス師のお孫さんのローズさんが10月21日から行方不明になってしまっています。ローズさんは 2014年に来日したダーラさんの娘さんです。ローズさんの無事を祈り、11月23日の祈りのギャザリングまで21日間祈り続け、毎日祈りをシェアする誓願を11月3日に立てました。
その5日目と6日目
11月7日
今日も朝からお祈り。ローズさんの無事を願いました。
どうか、皆さんも祈りとサポートをよろしくお願いしますm(_ _)m
11月7日は田圃の稲刈りをしました。
2013年に少し自然農を勉強させていただき、今も少しづつですが、田圃でお米を育てさせていただいています。
ご縁ある皆さんにお助けいただき、ホントに有りがたく今年もお米ができました。
上手くいけば、お米は一粒が300粒とか400粒になるという計算もあるようですが、
本当に一株から何本にも分かれて、たわわになるお米の姿は素晴らしいものです。
思わず、自然の神秘に祈りました。
ことしも、母なる地球の凄さと、このような形でも繋がらせていただいていることに心から感謝です。
どんな時も、母なる地球の愛は無限に沸き上がっているのだと実感します。
私達は産まれた時から、そんな母なる愛に満たされて、そんな、愛で出来ています。
その実感を離れると、人はオカシナ方向に進んでいくようです。
どんな時も、戦争に反対する時も、原発に反対する時も、TPPに反対する時も、困難な状況に在る時も、
そして、収穫の時も、空の虹を見上げる時も、美しい自然を見て感動する時も、皆でなにかを成し遂げて嬉しいときも
私達はそんな母なる地球の愛に満たされていて、愛から出来ているということは変わりないのですね。
デニス師は言いました
「先ず、母なる地球と自分の関係性を知りなさい。そして、母なる地球が自分を愛してくれているように、他を愛しなさい」
愛、そのままに行動する。
その偉大な愛のままに歌い、語り、踊り、歩き、働けたらどんなに素晴らしいだろうと思いますが、いざ歌ってみようとすると、やはりそこには練習や鍛錬が必要ですね。なかなか、思ったように歩けないし、歌えないし、踊れないし、行動できない。そこが面白いですね。
奥が深いです。そして、それが、愛に近づけば近づくほど、私達の天命が全うされていくのだと思います。
私達は愛を分かち合う為に産まれてきたからだと思います。それの証拠に、そんな、無限の愛を分かち合っている時は、心と魂が震えるように喜んでいるのを感じました。
そんな愛と天命に私達が目覚め、世界が愛に溢れますように。
心から祈りました。
11月8日
今日は雨。
パイプセレモニーをしました。
毎日、たとえ一人でもパイプを吸ってローズさんの無事を祈っています。
ネイティブは何千年、何万年も前から、このような祈りの伝統を守り続けています。
人には祈りが必要です。
母なる地球の愛を、心や魂深く感じ続ける為には、人は祈ることが必要なのです。
現代のように、コンクリートで町が覆われるづっと前から、人は母なる地球の愛と繋がる為に祈り続けて来ました。今、現代は自然と人との距離が遠い分、さらに深く強く祈らなければならないのだと日々痛感します。
そして、その愛から遠のいた分だけ、酷い悲劇が目の前に現れるメカニズムが見えます。
戦争も原発も放射能も、差別もTPPも、家庭の不和も問題の原因の源はそこにあると感じます。
起こること全ては私達の鏡。
私達の心の曇りは、時に、残酷な現象を顕現させてしまいます。
私達の心の陰りは、磨いたら良いもの!というレベルのことではないのですね。
愛との隔たり、断絶、曇りが、それを反映するもの、嫌悪や怒り、差別や暴力、残酷さや虐殺、戦争、放射能、自然破壊、生命破壊に繋がっていきます。
心の曇りはある意味、深刻な問題の原因ですね。
愛を感じていれば、ほんの少しのことでも満足できますし、心から感謝できます。
毎日、ローズさんの事をお祈りして、パイプを通して大いなるものに繋がろうとしていまして、ホントに沢山の学びをいただいています。
ローズさんの悲劇も私達の内面の鏡として考えると、いたたまれません。
戦争も放射能も環境汚染もです。
私の心を磨かなければと思っています。
デニス師はミネソタを出発して、今、日本に向かっています。
ローズさんのこともあり、来日することを心配していました。
本国での捜索活動は警察や地元の方々が精力的に行っていますので、
今回は難を押して、日本にメッセージを届けに来て下さるようです。
どんな、困難な状況でも
祈りと行動を結びつけ、乗り越えて来たデニス師。
私達も愛を持って、そのメッセージを聞き
ローズさんの為にも祈りを捧げ、ツアーを通してサポートできればと思っています。
深い愛と真実の循環が生まれることを私も願っています。
どうぞ、よろしくお願いします。
ホーミタクエオヤシン
山田拝